第1211回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1210話 関東大震災 陸軍大臣の知恵袋の事。2015年6月26日金曜日の投稿です。 




   1923年 大正12年9月18日の午後、 陸軍省の仮設の幕営で、田中 義一

  陸軍大臣と 白川 義則 陸軍次官は、「次の一手はどう打つべきか。」と思案

  にくれていたのです。

  「 なあーー、白川、軍事参議官の 福田 雅太郎を、関東戒厳司令官に据えた

  のは我輩の間違いであった。」 と、 語り始めたのです。


  押っ取り刀で、 9月に入り、関東大震災陸軍大臣になつたものの、自分達

  の知らぬところで、 民間人の意図的な 抹殺事件が起き、 時間だけがどんどん

  過ぎていったのです。


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  ちょうどその頃、ある陸軍中将が、 田中 陸軍大臣を訪ねて、やってきたのでした。




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      「 大臣、 姫路師団の 師団長が面会を求めて来られております、いかが

      いたしましょうか。」 と、副官が問うと、田中陸軍大臣は、「 よし、すぐ通せ。」

      と指示を出し、 「  閣下、 宇垣であります。 姫路から部隊を連れて

      到着いたしました。」 と、 当時 姫路の第10師団長であった、宇垣 一成

      陸軍中将が、面会に訪れたのです。




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         【  関東大震災当時 姫路第10師団長 宇垣 一成 陸軍中将 】




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     「  おい、宇垣、西からの道中、東海道はどうであったか。」 と、田中陸軍

     大臣が問うと、 「  はっ、沼津あたりまでは、鉄道が通っておりますが

     そこから先は、 道路も、鉄道もずたずたでありまして、岡山、姫路、鳥取

     の連隊から 兵力を抽出して、 駆けつけてまいりました。」と、話すと、

     


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      田中陸軍大臣は、「  なあーー宇垣、 海軍に乞われて、我輩は陸軍大臣

    に復帰したものの、 近衛師団と 東京憲兵隊が暴走しおって、 手ずまりに

    なって、 まずいことになった。」と、 言うと、「 何があったのでありますか。」

    と、宇垣陸軍中将が問うと、「  実はなーーーー云々。」と、 亀戸警察署

    の事件や、 淀橋警察署での事件の顛末を田中陸軍大臣は、宇垣陸軍中将に

    話して聞かせたのです。



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    そして、 「  宇垣、 我輩は貴様を頼りにしておる、なにか良い策はないか。」

    と 田中 陸軍大臣が問うと、 静かにしばらく 腕組みをして考えて、「 うーーん

    そうですなーーーー、 自分が陸軍大臣なら、 こうします。」 と、対策を語り

    始めたのです。



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    「   この度の事件を利用して、陸軍大臣が事件の調査と、事態の収拾に

      自ら乗り出し、 そして、この事件の実行者を陸軍の看板、 憲兵隊の

      看板を傷つけないように 厳重に処分する事が肝心であります。

      そして、 陸軍の上原 参謀総長 一派の軍人を 一掃し、閣下の配下と

      置き換えていくのです。」  と 宇垣 陸軍中将が語り始めると、

      田中 義一 陸軍大臣は、  「 宇垣、 我輩は貴様の作った船に乗るので

      お前の考えで、 船をつくってみい、 頼りにしておるぞ。」と語り、

      宇垣 陸軍中将は、事件の対策を 田中陸軍大臣と、 白川 陸軍次官

      に語り始めたのです。


【 明日に続く。】