第1213回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2015年6月28日日曜日の投稿です。
【 関東大震災で 大きな被害を受けた 現在の 皇居 】
1923年 大正12年の9月18日当時の 内閣府は、 国会議事堂、など
火災で焼失したりして、 宮城の庭の一部に、幕営を設置して、仮設の
庁舎として使用していたそうです。
宮城こと、 現在の皇居も、 関東大地震の被害を受け、櫓の倒壊や壁や
塀の倒壊など多くの被害を出していたのです。
君であるが、 子細は不明ながら、 殺害されている可能性が高まった。」と、
伝えると、 山本総理は、みけんにしわを寄せ、 「 また、どげんして。」と
田中 陸軍大臣に問い直したのです。
するまで、待ってほしい、 つまり この事件は、陸軍で調査して 全容を明らかに
して、陸軍で世間が納得するよう処分を行いたいと、我輩は考えておって、
小泉 陸軍少将、 東京憲兵隊隊長 小山 陸軍大佐を解任し、 我輩の
信用しておる部下を配置して、 徹底的に調査し、犯行を行った 当事者を
すみやかに逮捕して、 数日中に 総理に報告したいと考えております。
その後、 事件がほぼ全容がわかった段階で、アメリカ大使館への連絡を
御願いしたい。」 と、 こういう申し入れを行ったのです。
の裕仁殿下が、摂政という立場で行われていたのです。
訪ねて、 白川 陸軍次官が到着し、 関東戒厳司令官の交代の打ち合わせを
行ったのです。
というのは、 関東戒厳司令官は、天皇陛下から任命されることになっていて、
ゆるしの事】 が必要であったのです。
牧野 宮内大臣から、関東戒厳司令官 交替の 話を聞いた 摂政
任命したばかりではないか、 理由はなにか。」 と、 問われ、
牧野 宮内大臣が、「 恐れ多き事ながら、暴動鎮圧に際し奉り、 多くの
への交替が言上されております。」 と返事をすると、 摂政裕仁殿下は、
「 牧野 その行き過ぎとは どのような事か。」 と、問われ、 摂政殿下
にも、 亀戸警察署の 虐殺事件、 淀橋 警察署での事件が報告され、
摂政殿下も この事件について 知る所となっていったのです。
【 明日に続く。】