第1214回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1213回 関東大震災  東京憲兵隊 隊長 解任の事。

                               2015年6月29日 月曜日の投稿です。





       1923年 大正12年9月19日 陸軍大臣 田中 義一 陸軍大将の

      打つ手は速く、 内々に、 関東戒厳司令官、 憲兵隊司令官、 東京憲兵

      隊長を 更迭する人事が内定し、 陸軍大臣室に、 次の東京憲兵隊の

      隊長に任命された、 三宅 篤夫 憲兵大佐が呼び出されたのです。



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   【  関東大震災当時、 急遽、陸軍大臣に就任した 田中 義一 陸軍大将】



    「  陸軍憲兵大佐 憲兵隊司令部附き 三宅 篤夫 入ります。」と、申告して

    三宅 憲兵大佐が、陸軍大臣室に入ってきたのです。

     田中 陸軍大臣は、「  うむ、 ご苦労、 実は正式には 明日、20日附けで

     憲兵隊司令官の 小泉 六一と、 東京憲兵隊 隊長の 小山 介蔵を

     更迭する。 後任の 憲兵隊司令官には、 現在第1旅団長の 柴山 重一

     陸軍少将を考えておって、 引き継ぎなどもあり、数日遅れて着任する

     予定である。

      貴様は、 司令部附きで 直ぐ動ける身軽な事から、 これから直ぐに

      東京憲兵隊 司令部に 憲兵隊司令部から兵力を抽出して、乗り込んで

      

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         社会主義者の 大杉 栄  官能小説家の 伊藤 野枝  橘 宗一

         と言う、 幼児の 3名の 殺害事件を、 隠密に 憲兵隊のことは

         憲兵隊の中で 調査して 顛末を 新聞記者や、 陸軍関係者に

         知られることなく、 我輩に1番に報告してもらいたい。

         ここに、 我輩の命令書がしたためてある、 命令の遂行にあたり、

        障害となる人物には、 この命令書をかざして、 我輩の名前を使って

        調査に協力させろ、 反抗するようであれば、 陸軍省に伝令を

        よこせ、 我輩がすぐに手を打つ、  大杉、伊藤 と言う人物の

        報告は、 前任の 小泉 憲兵隊司令官から、おおよその話は聞いて

        おって、 まともな 一般市民でないことは解っておる、 が、 一緒に


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        連れておった、 幼児が 米国籍の日系人の子供で、 アメリカ大使が

         早急に身柄の引き渡しを求めておって、 このまま放置すると、

        外交問題に発展し、 その先、 陸軍の大きな汚点になる可能性がある、

        貴様は、 憲兵隊司令部に立ち戻り、 部隊を編成し、整い次第、

        東京憲兵隊に 急行し、 小山 介蔵の身柄を拘束し、 事件の解明を

        行うべし。」 と、 命令書を手渡したのです。



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    【  新しく 東京憲兵隊 隊長に推挙された、三宅 篤夫 陸軍憲兵大佐】


     命令書を受け取った、三宅 憲兵大佐は、 司令官が不在の 憲兵

     司令部に戻り、 新たに別の憲兵で 事件の調査部隊を編成し、 東京

     麹町にある、 東京憲兵隊 司令部に 乗り込んだのです。



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       「 みんな、そのまま。」 と 大声で叫ぶと、 別の憲兵隊が、東京憲兵

       の庁舎になだれ込み、 東京憲兵隊始まって以来、 初めて、 憲兵隊を

       別の憲兵隊が、捜査するという、前代未聞の事件となっていったのです。


        【明日に続く。】