第1240回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1239話 関東大震災 摂政殿下視察の事。 2015年7月24日金曜日の投稿です。




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                【  火災で、焼け野原になった 東京 】



     前文の 福田 雅太郎 陸軍大将暗殺事件から、少し戻って、1923年

    大正12年9月14日 金曜日、  摂政 東宮 裕仁 殿下【 ひろひとでんか

    後の昭和天皇の事】 は、 市中視察を強く希望され、周囲の反対を押して

    避難先の 赤坂御所から、 騎馬に乗って、横浜まで視察行幸されることと

    なったのです。



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         内閣や、陸軍省、戒厳司令部は、 暴動が収まったとはいえ、まだ

         治安が安定していない中の行幸に 難色を示したようですが、

         摂政殿下の強い希望で、 近衛騎兵連隊の警護の中、横浜まで

         騎馬にて行幸が 15日 16日 の土曜、日曜日におこなわれたの

         です。



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          殿下は、焼け野原になった 市街地を 馬に乗って 視察されたの

          です。

          そして、 大正天皇の 皇后陛下は、 自ら歩いて、孤児院などを

          慰問して歩かれたのです。



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                   【 孤児を見舞う 貞明 皇后 】


   
          ところで、 摂政殿下は、 横浜にいたり、見晴らしのよい山に

         案内されて、横浜の惨状を 視察されたのです。




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         当時 同行した、 後藤 新平 内務大臣に 色々質問され、

        心配そうに 焼け野原を視察されたと伝えられています。


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            【  横浜市街を 視察される  摂政 東宮 裕仁殿下 】



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       ちょうど、 摂政殿下が横浜を視察中に、 大杉 栄、 伊藤 野枝、

       橘 宗一 殺害事件が、東京憲兵隊によって 引き起こされたのですが

       当時は、 東京の南半分は 焼け野原となり、だれも気に止める人は

       親族以外 いなかったのです。


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         ちょうど、 摂政殿下の横浜視察から、数日後、陸軍参謀本部

         上原 勇作元帥が、ある計画を立ち上げ、 内閣を困らせていくこと

         になって行くのです。


       【 明日に続く。】