第1242回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1241話 関東大震災 京城遷都計画の事。 2015年7月26日日曜日の投稿です。





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              【  陸軍参謀総長 河合 操  陸軍大将 】



      1923年大正12年9月21日 陸軍参謀総長 河合 操 陸軍大将は、

    上原 勇作 元帥の内意を受け、 陸軍省を訪れ、 田中 義一 陸軍大臣

    に面会を求め憲兵隊の 司令官、 東京憲兵隊隊長の 復職を求め、さらに、

    新しい陸軍参謀本部の計画を 内閣に陸軍の申し入れとして 行うよう申し

    入れを行ったのです。 

    東京憲兵隊の人事の話で 不機嫌になった 田中 義一 陸軍大臣は、

    陸軍省の次々吹いて沸いて出る事件への対応の経緯も知らず、自分達の

    立場の事のみ考えて申し入れする 参謀本部に対して 不機嫌になった

    のです。



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     田中 陸軍大臣の 事件の顛末の説明と、 その後の話を聞いた 

     河合 陸軍大将は、 「 とにかく、小泉、 小山は、外国の諜報組織を

     取り除かんとして、行った事であり、2人の立場を考えてもらいたい。」と、

     参謀本部の要求を聞かない場合は、 上原派も考えがあるという

     そぶりを見せて、 田中 陸軍大臣を牽制したのです。



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    河合 陸軍大将は、「 上原元帥には、 地震というのは周期的に襲ってくる

    天災であって、 今後将来のことを考え 遷都を 内閣に申し入れるべきとの

    お考えがあって、遷都は初めての事ではなく 歴史をひもとくと、多くの遷都

    が過去なされていて、東京から、 別の場所に首都を移転させるべきとの

    お考えです。」と言うと、 その話を聞いた田中 陸軍大臣、 白川 陸軍次官

    は、一瞬、言葉を失い 河合 陸軍参謀総長の申し入れに、 「 でっ、 どこ

    に遷都すると言われるのか。」 と、 問いかけたのです。



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         【  当時 陸軍の薩摩閥の実力者であった 上原 勇作 元帥 】 




       河合 陸軍参謀総長は、「  元帥には、東京から 京城に遷都すべき

       であるというお考えでありまして、 ぜひ 陸軍の申し入れとして、内閣に

       強く押していただきたいのであります。」と、言うと、 田中 陸軍大臣

        「 けっ けいじょう【 京城 】だと。」 と、 みけんにしわを寄せて

       又、大変な難題をと言うような顔つきで、 白川陸軍次官を 見つめたの

       です。



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           【  当時の 陸軍大臣  田中 義一 陸軍大将 】


    上原元帥ら、陸軍参謀本部が取りまとめた 遷都計画の 第1候補地 

   京城【けいじょう】とは、 朝鮮半島の現在の ソウルの事で、 当時日本の

   朝鮮半島の都市の1つであったのです。


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   つまり、 地震というのは周期的に襲ってくるので、 多額の費用をかけて

   復旧しても、 また 同様な地震が襲ってきた場合、同じような惨状となる

   わけで、 思い切って、 朝鮮半島の 京城 【現在のソウル】に首都を移転

   させようと、 そういう申し入れであったのです。

   この申し入れが、通ったとすれば、 大日本帝国の首都は、現在のソウルに

   なっていたかもしれません。


      【明日に続く。】