第1242回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
【 陸軍参謀総長 河合 操 陸軍大将 】
1923年大正12年9月21日 陸軍参謀総長 河合 操 陸軍大将は、
新しい陸軍参謀本部の計画を 内閣に陸軍の申し入れとして 行うよう申し
入れを行ったのです。
陸軍省の次々吹いて沸いて出る事件への対応の経緯も知らず、自分達の
立場の事のみ考えて申し入れする 参謀本部に対して 不機嫌になった
のです。
田中 陸軍大臣の 事件の顛末の説明と、 その後の話を聞いた
河合 陸軍大将は、 「 とにかく、小泉、 小山は、外国の諜報組織を
取り除かんとして、行った事であり、2人の立場を考えてもらいたい。」と、
参謀本部の要求を聞かない場合は、 上原派も考えがあるという
そぶりを見せて、 田中 陸軍大臣を牽制したのです。
河合 陸軍大将は、「 上原元帥には、 地震というのは周期的に襲ってくる
天災であって、 今後将来のことを考え 遷都を 内閣に申し入れるべきとの
お考えがあって、遷都は初めての事ではなく 歴史をひもとくと、多くの遷都
が過去なされていて、東京から、 別の場所に首都を移転させるべきとの
お考えです。」と言うと、 その話を聞いた田中 陸軍大臣、 白川 陸軍次官
は、一瞬、言葉を失い 河合 陸軍参謀総長の申し入れに、 「 でっ、 どこ
に遷都すると言われるのか。」 と、 問いかけたのです。
【 当時 陸軍の薩摩閥の実力者であった 上原 勇作 元帥 】
であるというお考えでありまして、 ぜひ 陸軍の申し入れとして、内閣に
強く押していただきたいのであります。」と、言うと、 田中 陸軍大臣は
「 けっ けいじょう【 京城 】だと。」 と、 みけんにしわを寄せて
又、大変な難題をと言うような顔つきで、 白川陸軍次官を 見つめたの
です。
【 当時の 陸軍大臣 田中 義一 陸軍大将 】
上原元帥ら、陸軍参謀本部が取りまとめた 遷都計画の 第1候補地
朝鮮半島の都市の1つであったのです。
つまり、 地震というのは周期的に襲ってくるので、 多額の費用をかけて
復旧しても、 また 同様な地震が襲ってきた場合、同じような惨状となる
させようと、 そういう申し入れであったのです。
この申し入れが、通ったとすれば、 大日本帝国の首都は、現在のソウルに
なっていたかもしれません。
【明日に続く。】