第1245回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】

第1244話 関東大震災 遷都御前会議前夜の事。

                           2015年7月29日水曜日の投稿です。


    
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            【  関東大震災当時の 京城 けいじょう 現在のソウル 】
              

   1923年 大正12年9月24日 月曜日、 田中陸軍大臣が気をもんでいた、

   甘糟 元陸軍憲兵大尉らの、軍法会議の予審が開始された頃、 陸軍参謀

   本部の上原 勇作 元帥を中心とする、陸軍参謀本部は、 焼け野原となった

   東京に見切りをつけて、 朝鮮半島京城の竜山【現在のソウル】付近を、

   新しく大日本帝国の首都と定め、 遷都すべきと提唱し、 第2候補地を、

   兵庫県加古川市の近郊にして、 内閣に 圧力をかけてきたのです。





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           【 当時の内閣総理大臣  山本 権兵衛 海軍大将 】



       山本 内閣総理大臣は、 一方的にこれらの話を潰しては、陸軍

     参謀本部の体面を傷つけ反発を招き、 後々の政局の運営に支障が

     出ると考え至り、摂政殿下、 内閣の閣僚に対して、参謀本部の代表者

     の陸軍参謀総長の 河合 操 陸軍大将を会議に出席願い、遷都に

     関する御前会議を開いたのです。



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     しかし、その舞台裏では、当時政界のキングメーカーであった 上原元帥と

     対立していた、 西園寺 公望 元内閣総理大臣に伝令を送り、 配下の

     しんけんさん こと、 牧野 伸顕 宮内大臣に根回しして、 摂政殿下

     に直接話を聞いていただき、 陸軍参謀本部に勅命をもって、 京城遷都

     の話を潰してしまう 裏工作が進んでいたのです。



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       明治43年まで、漢城 【かんじょう】 と呼ばれていた、同地は、 日本に

       朝鮮半島が併合されると、 日本人によって、京城 【けいじょう】と都市

       の名が変えられ、 水力発電所を建設し、 電線を引いて、 電気を通し、

        鉄道や、 市内を走る路面電車などが整備され、 それまでになかった



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         洋風の建物がどんどん建設され、 文明開化が進んでいた途中の

         朝鮮半島の都市でした。

         上原 元帥の 陸軍参謀本部は、 ここ 京城こそ、 地震や水害など

         天災の歴史を検討した結果、 そして、今後 大日本帝国が 大陸に

         進出する上で、 帝都にふさわしいと考え内閣に圧力をかけて遷都を

         迫ったのです。



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          そして いよいよ、その御前会議が開かれていくのですが、

          陸軍参謀本部の 将官や 高級佐官などは、一部の善意のある

          軍人を除いて、 被災した国民を救済して、 今後をどうしていくか

          という考えが 気薄であったのです。



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         陸軍は、天皇陛下の軍隊であり、 東京にまた災害復旧費用を

        かけて、建物や設備を復旧しても、 また、地震津波が来ると

        元の木阿弥になってしまう、 そういうことであれば、 地震などの

        天災が少なく、 条件のよい場所に遷都し、 帝都を整備すべしと

        考えていたのですが、 被災者のことは 二の次であったようです。


        【  明日に続く。】