第1246回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1245話 関東大震災 帝都復興院の事。2015年7月30日木曜日の投稿です。
遷都計画を推進していた当時、 御前会議前日に、 後藤 新平 内務大臣
のです。
ひろひとでんか 後の昭和天皇】の 被災地視察に同行したりして
当時の 摂政殿下の意向などを掌握し、 帝都復興についての具体策を
内務省内に設けた、 帝都復興院 【ていとふっこういん】で検討して
その後藤私案なるものを、田中 陸相に 事前調整に訪れたのです。
後藤新平さんと言う人は、 陸軍の児玉 源太郎系列の 官僚で、つまり、
陸軍の長州派系列の お雇い官僚のような立場の人で、 元は、病院の
医師で、 以前紹介したように、 板垣退助 公が、演説後 刺されて
【 板垣 退助 公 】
病院に担ぎ込まれた時に 診察した医師としても 知られた人でありました。
後藤 内務大臣に面会した 田中 陸軍大臣は、「 おうーー、素案が
出来たか。」 と、 後藤内務大臣から 報告を受けたのです。
【 関東大震災で 焼け野原になった、東京 南西部 】
帝都復興院 のまとめた 災害復旧計画の骨子は、多くの土地建物
を整理して、 焼け野原の南部 西部、 南東部を まず区画整理して
その後訪れるであろう自動車時代のことを考え、100メートル程度の
道幅を大きく取って、 防災の火除け地とし、 ここに 近代的な防災に
強い 都市を構築しようという案でありました。
反面、 これを実行した場合、 多くの立ち退きが発生し、 また道路
建設や、 隅田川の護岸工事、 南部の海岸線の 防波堤の工事など、
多くの防災工事が発生し、 その費用は多額の予算が必要であった
のです。
田中 陸軍大臣は、 「 ほうーーー、 ずいぶん整理された都市計画じゃ、
ここの 京橋付近の 道路の幅はどのくらいになるのか、 ここはどうなるのか。」
と、質問を連発し、 「 うーーん、これなら、もし火災になった時でも、火が
燃え続けることはあるまい、 津波が来ても、これだけ堤防の高さがあれば
安全であろう。」 と 満足し、「 いゃあーー、 これなら良かろう。」と、太鼓判を
押したのです。
続いた後、 田中 陸軍大臣が、「 それから、 この計画を実行した場合、
いくら予算がかかるのか。」と、問うと、 後藤 内務大臣は、「 東京だけで
約30億円、 周辺の都市の災害復旧を考えると、倍の60億円はかかります。」
【 田中 義一 陸軍大臣 】
と言うと、 「 ろっ ろくじゅうおく円ーーーー。」 とたまげた顔をして
「 はぁーーーーーぁ。」と、大きなため息を漏らしたのです。
明治の後半の 日露戦争当時の国家予算が 2億円程度、 数年前の
大量に国債を発行して、原 内閣が 選挙目当てで予算のばらまき
政治を行った 大正10年当時で 国家予算が15億円程度であった
その当時、 東京の災害復旧費用だけでも莫大な資金を必要として
いたのです。
すでに、日本は 西洋諸国から 借金のまた借金を繰り返し、戦費に充て
もう借りるところがない程度負債が膨らみ、 原内閣の 高橋 是清
大蔵大臣が考え出した、 国民のタンス預金をあてにした国債も、大きな
金額に達し、 その利息の支払いにも難儀する程度 大蔵省の国庫は
破綻に貧していたのです。
【 明日に続く。】