第1247回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1246話 関東大震災 帝都復興御前会議の事。2015年7月31日金曜日の投稿です。
1923年 大正12年9月25日 火曜日、 今後の地震災害の復旧の方針を
討議する 内閣の会議が、 臨時に設けれられていた宮城内で開かれたのです。
その会議には、内閣の閣僚だけでなく、 陸軍参謀本部を代表して、
殿下の決済を最終的に受けることになっていたのです。
当時、 帝都復興院の考えた、 東京及び、 その周辺の都市の災害
復旧費用は、東京市のみでも、約30億円程度、 関東地方の被災地の
災害復旧費用をくわえると、倍近い 60億円程度が試算され、 時の
井上 大蔵大臣が、 予算と国庫の具合から、 この計画を実行すると破綻
するとして、反対し、 これに対して、 後藤 内務大臣が、 先の先を見据えた
帝都の整備が必要と力説し、 会議は紛糾したのです。
現在の ソウル】 近郊の竜山付近 を推挙し、 第2候補地として、
提案されたのです。
陸軍の提案は、閣僚の目を引き、 海岸線に近い場所に 首都を置くと、
これらを抑止する場合、 堤防や護岸工事の費用が多額となる為、
思い切って、 東京から、 内陸の八王子付近に、宮城、 官庁街など
議事堂などの
設備などが整っており、 再度 焼失した議事堂や、各官庁の庁舎を
新しく整備するより、 割安などと言う事が説明され、閣僚の間で
多いに 議論されたのです。
ひとつは、多額の費用を投じて、 帝都 東京をこのまま 復旧するか、
どこか適当な場所に遷都するか、 2つに1つを選択する事となったの
です。
そのほか、閣僚からは、「 大阪にしたらどうか。」とか、 もとの「京都
に戻してはどうであろうか、 京都御所をそのまま使用してはどうか。」
とか、日清 日露の戦争の時に、臨時に首都を移転した、 広島に
移転させ、 広島城を 宮城にしてはどうか。」 とか、 いろんな案が
提出され、 摂政殿下の決済を受けることになったのです。
発生する物であり、 歴史を研究すると、 天明時代に、 富士山が
噴火したり、 浅間山が噴火したり、 そういう噴火災害などを
考えると、 そういう 地震災害の可能性の低い土地に遷都すべき
である、なぜなら、 ここ 東京に 30億、60億と資金をつぎ込んで、
また、地震があると、 破壊され、 無駄になってしまう、 それよりも
過去を研究して、 災害の危険のない場所に遷都すべきだと、
力説したのです。」
閣僚の多くは、この話に同調し、 京城という場所は別個として、
東京からまず遷都し、 安全な土地に移転して、0から都市計画を
立案すべきと議論の流れが進んでいったのです。
【明日に続く。】