第1269回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1268話 関東軍 総司令官の事。 2015年8月22日 土曜日の投稿です。





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     1923年 大正12年の9月 28日 金曜日、 神戸の 財閥 鈴木商店

     金子 専務達が、大阪の北浜1丁目の大阪取引所で、 大もうけをしていた

     頃、 陸軍省では、 田中 義一 陸軍大臣とその周辺が、ある隠密な

     人事を進めていたのです。



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          【 関東大震災当時の 陸軍大臣 田中 義一 陸軍大将 】


       田中 陸軍大臣は、自らの計画を実行するため、 満州を管轄する

       関東軍の司令官のポストに、 自分に忠実な配下を据えようと計画、

       実行に移していったのです。



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      ところでみなさん、戦後の現在、「 君、関東軍とはなんだ。」と聞かれて

      その多くの人が、「満州を守る為の、陸軍の部隊である。」と、解答する

      人が多いのですが、 自分が 海軍兵学校の1号生徒の頃は、実は、

      関東軍とは、 小さな遼東半島と鉄道を警備する部隊の名称であった

      のです。



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       日露戦争の時、 日本軍が数万人の戦死者を出した 旅順要塞の

       あった場所に、 当時は、関東軍司令部が置かれていて、 大正時代は

       陸軍で、 薩摩閥を率いていた、 上原 勇作元帥の配下の陸軍の

       軍人が、 司令官を 世襲していたのです。



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      関東軍の語源は、 旅順要塞のある、遼東半島が、 中国の関東州と

      呼ばれる地域と言う事で、 関東軍と呼ばれるようになり、 この地域の

      警備と、 遼東半島の大連から、 黒竜江省のハルピンまでの鉄道を

      日露戦争で、ロシアから日本が奪ったのです。



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    少しややこしいので読者にわかりやすく説明すると、 土地は中国政府の物、

    そして、 鉄道の線路と、停車場の駅と その周辺の建物が、ロシアから、

    日本に管理権が移ったのです。

     これらの物には、中国政府は、自分の国の中の物であっても、治外法権

     で 手出しが出来なかったのです。



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    田中 陸軍大臣が 進めていこうとしていた政策というのは、 この満州鉄道を

    拠点に、 周辺に 鉱物資源地帯を開発して、 大規模なコンビナートを

    建設せしめ、 製品を 満州鉄道で、 一路南下させ、 大連から、

     日本の本土に、 海路を資源物資を運ぼうと計画していたのです。 



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    そのような事情で、 この関東軍司令官というのは、 当時は、大連の

     周辺と、鉄道の警備というのが大きな職務であったのですが、 当時

    馬賊 と呼ばれる山賊列車強盗団や、 中国の武装ゲリラ組織が、

    鉄道を襲うことが多々多かったのです。

    何しろ、 鉄道は距離が長く、 線路を全部を警備するのは難しかったの

    です。



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     当然、 1個小隊前後が、各駅に駐屯しているのですが、 線路を破壊

      されて、 その場所に移動すると、 相手は 馬に乗って 別の場所に

     移動し、別の場所を攻撃してくると言う、いたちごっこが当時から続いて

     いたのです。 



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           【 関東大震災当時の陸軍次官 白川 義則 陸軍中将 】


    田中陸軍大臣は、 関東軍司令官の大きく権限を拡大し、 中国大陸征服

    の初手として、 関東軍司令官に、 当時 陸軍次官であった、 白川 義則 

    陸軍中将を陸軍大将に進級させ、 ここのポストを 陸軍の長州派で押さえ

    ようとしたのです。

    ところで、 この関東軍司令官の椅子には、当時、 上原派の尾崎 実信

    陸軍大将が座っていて、 その前の前任者は、 上原派の、関東大震災

    当時、参謀総長をしていた、 河合 操 陸軍大将であったのです。



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              【  陸軍次官に就任した 宇垣 一成 陸軍中将 】


      田中陸軍大臣は、 白川 陸軍中将を 近日中に陸軍大将に推挙

      するという予定で、 関東軍司令官 尾野 陸軍大将を 窓際の軍事

      参議官のポストに追いやり、 関東軍司令官への移動人事を発令し、

      白川 陸軍次官の 後任に、 姫路第10師団長の 宇垣 一成 

      陸軍中将をあてる人事を 強行したのです。



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           【  陸軍の参謀本部を押さえていた 上原 勇作 元帥 】


      この強硬な人事を聞いた、 陸軍参謀本部の 上原 勇作元帥は、

      ゆでだこの様な、赤い顔をして、「 おのれーーぃ 今に見ておれ。」

      と、 激怒して、 その後の政局の混乱の原因になっていったのです。

      後の 皇道派 と呼ばれる 上原派と、 後の統制派と呼ばれる、

      田中派の溝はどんどん広がっていき、 収拾がつかない状態に

      なって行くのでした。


      【 明日に続く。】