第1760回 週刊 モデルガンパーク 模型公園
みなさん、こんばんは模型公園です。 2015年8月30日 日曜日の投稿です。
日曜日 恒例の 週刊 モデルガンパーク の時間です。
今日のお話は、 日本モデルガン流通経済史の中で、大きく潮目が
変わったというか、 変化していった そういうお話です。
それまでは、 映画に登場したり、 テレビ映画に登場したりする
ウインチェスターや、SAAなどの小道具が、 上映されると 人気が
高まり、 売れ行きが良かったようです。
これらの流れが 昭和30年代、 昭和40年代の時期に当たります。
潮目が変わっていった年というのは、 昭和51年12月以後、
モデルガンの流行が ガン雑誌に変わっていった と思います。
その流れを作っていったのは、 月刊 GUN 誌の 坂田編集長
と、 当時 サンフランシスコで 旅行ガイドをしていた、永田 市郎氏
でした。
永田 市郎氏は、 1番はじめの記事が、 テッド 今井 という日系人の
管理するアメリカのシューティングレンジの記事であったと思いますが、
日本人の知らない、 アメリカの シューティングの世界や、目新しい
カスタムガンの記事を きれいな写真を 撮影して、 日本人に紹介
していったのです。
日本国内の モデルガンメーカーが、 彼の紹介したモデルを製品化
して、 販売し、 また その商品を GUN誌に広告を入れて紹介すると
多くの人が、 雑誌を買って、 読んでいくことになり、 読んで見ていると
ほしくなると言うのが、人間の本性で、 そのような 前後関係で、 昭和
50年代中期から昭和63年程度までは、雑誌が モデルガン業界の
中心であったと考えています。
本日紹介する カスタムガバメントは、 1911年に ジョン ブローニング氏
がデザインした、45口径モデルを、射撃しやすいように、手をくわえた品で、
1980年代から 日本のモデルガンの世界で 大変人気があった
というか、 たくさん売れた品物です。
当時、 カスタムパーツ という 特別の部品が販売され、 高価な価格で
これらを集めて、 自分のモデルガンに装着して 楽しむことが流行した
のです。
価格が高い品は、 10万円とか、15万円とか、 ざらで、 すごいブーム
でした。
それらの ブームを 作っていったのが、永田 市郎氏で、
1980年代は、 彼を中心に モデルガンブームが続いて行ったのです。
永田 市郎氏 直筆 サイン入り、 ホルスターと、マガジンポウチ
と、 カスタムガバメントを 並べて見ました。
それでは、みなさん、良い日曜日の夜をお楽しみください。
来週も日曜日の19時前後に 記事をアップします。
興味のある人は、 アクセスして 楽しんでいただけたらと思います。
【 来週に続く。】