第1304回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1303話 ファシスト党の蜂起の事。 2015年9月26日土曜日の投稿です。




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    ベニート ムッソリーニ先生は、 学校のフランス語の先生だったのですが、

    ドイツ語、 フランス語、イタリア語を勉強して、 いろんな政治学、哲学の

    本を読んで勉強するうちに、 後に、 国家社会主義思想という、 そういう

    原点のようなことを考えるようになっていったのです。

    自身が、 徴兵制で軍隊に入隊し、 重傷を負って、陸軍軍曹で退役した

    のですが、 国全体が、 軍隊の組織のように団結して、軍規の規則に

    乗っ取って、 みんなが組織化された中で、 国の指導者が、力強い

    リーダーシップで、10年間の長期的経済政策を立案して 実行していく

    べきであると考えるようになっていったのです。


    
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         選挙で選ばれた帝国議会はあっても、 与党と野党に別れて

         政治闘争ばかりして、 1年程度で 首相がころころ変わって、

         安定した体制での政治が出来ない、 国民の生活は置き去りにされ、

         こう言う議会は改善する必要があると考えていたようです。

    

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       国民の税金を国が集めて、 国王や 貴族が そのお金を使うので

     庶民のために税金が使われないから、 生活が改善されないわけです。

      国王や、貴族のために、税金を使う制度を改めて、 庶民のために

      税金を使う、 つまり、 国民の小さなお金の税金を国が集めて、

      まず 道路を公共事業で造る、 その費用で雇用が生まれ、人々は

      そのお金で買い物をして、 商店にお金が回る。 

      道路を造れば、 物流がしっかりして、 いろんな商品や物資が流通する。

      商売が繁盛すれば、 国民が豊かになると 結論ずけていたようです。



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     当時、特権階級の人々は、税金がなかったようですが、 つまり受け取る

    側であったのですが、 これを改めて、 国民は所得に応じて、

     決まった法律と、 税制によって、 国民みんなが均しく税金を

    納める必要があると 考えていたようです。


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       そして、 特権階級の優遇された 教育制度を改めて、 国民は全て

       出発点は、0 で、 子供は均しく、 みんな平等に学習をして、努力

        した子供が 公正に評価を受けて、 次の目標を自分で立てて、

       進んでいけるよう、 現在の 身分制による区別された教育制度を

        改めて、変えていく事が必要だと考えていたのです。



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       「同じ学校で、 親の職業で、子供が区別され、 食べる場所も

       分離され、 庶民の子供は 粗末な給食、 上級の身分の子供は、

       きれいな場所で、良い食事ーーー、 おかしいではないか。」 と

       教師だったので、考えていたのです。



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          税金が 貴族のために使われて、 国民の為に使われないので

        子供が生まれても、 間引きと言って、 土の中に埋めて殺してしまう、

        生活が苦しく、食べていけないので そういうことが平然と行われて

        いたイタリアですが、 ムッソリーニ先生は、 国が税金で補助金

        出して、 そう言う行為を禁止して、 厳しい罰則を作って、 そういう

        愚かな行為を改める必要があると考えていたのです。

        そして、 「出産を国家奨励して、 子供を保護しないといけない。」

        と、 世間に 呼びかけのです。


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       このような考え方は、 戦後の日本では当たり前の事でありますが、

       国王や、貴族、 財閥 優先の イタリー王国【戦後のイタリア】では

       当時、 まったく新しい考え方であったのです。



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        1922日 大正11年10月  ファシスト党の 黒シャツ隊は、

        ミラノに 大挙して行進して、ミラノを占拠したのです。

        共産党員を 暴力によって 取り押さえ、 逮捕し、 市役所や

        警察署などを 管理下において、 ファシスト党が押さえてしまった

        のです。


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        そして、 一部の陸軍の兵士も、 ファシスト党に 恭順を誓って合流し

        数千人規模の勢力になったのです。

        全国の 退役軍人で 失業していた人達は、 「ムッソリーニ先生が

        ミラノを占領したらしい 、 いよいよ 世直しをするらしい。」と、

         口ずてに伝わると、 「 俺たちも行こう。」と、叫んでミラノに集まりだし

         その兵力は 10月10日には、 2万人に達していったのです。



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         イタリアのミラノ と言う都市は、 日本で言えば、東京の次に来る

        ような、 大阪や、名古屋のような都市で、そのような都市に、黒い服

        を着た男達が集まり、 軍隊のように隊列を組んで、 世直しの

        革命を叫んだのです。



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       首都ローマでは、 貴族や国王が、 共産党だけでなく、 ファシスト党

       が 反乱を起こし、 ミラノが占拠されたらしいと伝わると、一気に

        戒厳令を敷いて、 軍隊による武力討伐が検討される声が高まって

       いったのです。


        【 明日に続く。】