第1322回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1321話 大ドイツ陸軍の事。 2015年10月14日 水曜日の投稿です。





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  1907年 突如、蒸発したというか、夜逃げをしていなくなった、アドルフ 

  ヒトラーのその後の行動というのは、研究者によって いろんな推測の説が

  申し立てられ、 興味深いのですが、 話をまとめると、手持ちの金がなくなった。

  という一言に尽きるようです。

  つまり、「 仕事が嫌いだからやらない。」 という訳で、収入が無く、手元の

  お金は毎日出ていきますから、 どんどん少なくなります。

  ある、研究者の申し立てによると、 1909年11月 つまり、ヒットラー

  姿を消して、2年後には、浮浪者収容所で、スープを恵んでもらっていた

  という記録があるそうです。

  つまり、18才から20才くらいの頃のヒットラーは、浮浪者となっていたのです。




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       ヒットラーを研究する人の中には、 この当時に、ユダヤ人の金融屋

       から ヒットラーが借金して、 こっぴどく厳しい取り立てにあい、暴行を

       ユダヤ人から受けて、 ヒットラーが復讐を考えるようになった。

       と 申し立てる人もいます。

       ヒットラーが蒸発して、6年後、 どういうわけか、となりのバイエルン

       王国に ヒットラーが姿を現すのですが、 読者に少しわかりやすく

       説明すると、




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        大ドイツ帝国というのは、戦後の現在知る人は少ないですが、

        複数の王国の連合体であったのです。

        少し複雑なのですが、 大きく分けると、北のプロイセン王国というのは

        首都がベルリンで、独自に軍隊を持ち、 王様や、貴族がいたわけです。



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     そして、 ザクセン王国というのは、 ドレスデン首都で、ここも同様で

     あったのです。



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     そして、 ヴュブレティンベルク王国というのがあって、シュトゥットガルト

     首都にして、ここも、王様と貴族が支配していたのです。

     そして1番南部に、 バイエルン王国というのがあって、 首都が、ミュンヘン

     であったのです。



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        日本の伊藤 博文 公は、ベルリンに出向いて、ドイツの政治の

       仕組みを勉強し、 ドイツ風の大日本帝国憲法を取りまとめて、陸軍も、

       ドイツ陸軍を手本にして、皇軍を創設していったのですが、 日本とドイツ

       では、実際はその組織が大きく異なっていたのです。


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         ドイツでは、4カ所の王国が独自の軍隊を持って 独立していて、

         装備も、組織も独自の構成であったのです。

         日本は廃藩置県を行って、 軍隊は1つに統一されていたのですが、

         ドイツではそうではなく、 別個の組織であったのです。


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          このような事情で 当然 行政、司法、などは別個で、

         それぞれの王室がいて、 貴族階級があり、 地主が存在して

         いたのです。

         そのドイツ帝国の中の1番南部のバイエルン王国というのがあって

         ここの首都の ミュンヘンの都市に、1913年、日本の大正元年

         ウィーンで蒸発して6年後、ヒットラーが24才の時、姿を現すのです。

         この間、 つまり6年間というのは、ヒットラーは浮浪者というか、

         失業者というか、 そういう立場であったようです。


        【 明日に続く。】