第1323回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1322話 指名手配されたヒットラーの事、2015年10月15日木曜日の投稿です。
戦後の人は忘れ去り、 戦前の事を知る人は少なくなっていって
いるのですが、日本も昭和10年程度から、19年程度まで、アドルフ
陸軍では、 ヒットラーの事を研究し、 心酔する人が多かったのです。
この本は昭和15年に日本で出版された、「余の 闘争 。」と言う、
本でありまして、 日本でもたくさんの人が買い求めて、ヒットラー総統
とは、どのような人なのか、 興味を持っていた、 と言うより、世界中の
人が彼に注目していたのです。
わかりやすく言うと、 現在で言えば 田中 角栄 先生の本を作ると
本屋でよく売れるそうですが、 同様な現象でありました。
大きく刺激を受けて帰ってくる人が多かったのです。
独特の服装や旗、 独特の音楽、 太鼓の音に合わせて行進する
ナチスの行事は、 日本人だけでなく、ドイツ人や、世界中の
注目を集めたのです。
後に、聯合艦隊の首席参謀を勤めることになる、 神 重徳
海軍中佐などは、 ドイツ駐在からの帰国組の典型で、 ヒットラー
総統に心酔し、 ヒットラーの髪型、 口ひげを模倣して、部隊の
訓示などでも、ヒットラー風の演説を取り入れた独特の訓示で
ずいぶん風格がありました。
ドイツの国民も、世界中の人も、日本陸軍の「ドイツと同盟を結ぼう。」
と連呼する面々も、 このお話を読むとびっくりすると思いますが、
戦後、多くの研究者が研究を重ねて、 ヒットラーの過去がどんどん
解明されていったのです。
ヒットラーと言う人は、1907年、 突如 ウィーンの町から姿を消し、
帝国の首都ミュンヘンに浮浪者のような姿で、姿を現すのですが、しばらく
して当局に指名手配の容疑者として逮捕され、 元の オーストリア
ハンガリー帝国に強制送還されるのです。
その罪状は何であったかというと、 徴兵逃れ という罪でした。
20才から、徴兵があったようで、 行方知れずのため、指名手配を
受けていたようです。
この出来事が、ヒットラーが夜逃げした原因は 「徴兵逃れだ 。」と、
主張する 研究者の人達の根拠になっています。
しかし、実際はどうであったかと、いろんな人の研究をまとめて考察すると、
こういう流れがほぼ 間違いないようです。
それはどういうことかというと、「 仕事は嫌いだからやらない。」 という
考えで、 親の遺産の分与である程度現金をもらったのですが、
生活費や、ウィーンのオペラの歌劇場や、いろんな事で、どんどん
使い果たしてしまい、 しばらくすると、 金融屋から借金を重ねる
様になっていき、 当時 ユダヤ人の金融屋にずいぶん借りたお金
が返済できなくなり、 ユダヤ人の取り立て屋に、こっぴどく、制裁を
受けるようになり、 姿をくらましたようです。
このことが、後のユダヤ人嫌いになる出来事であったようです。
名前を隠し、 1909年 明治41年には、浮浪者収容所に入り込み
ここで、 政府からの施しを受けていたようです。
そして、その後、メンデマンの公営宿舎と言うところで、寝起きして
いたのですが、 わかりやすく言うと、 浮浪者、 住所不定の人に
落ちぶれていたのです。
そして、 自分の国にあきらめをつけて、光明を求めて となりの
国のバイエルン王国の首都に、 どういう手段かはわからないの
ですが出国したようです。
どうも、 うすうすは知っていたのでしょうが、 兵役の徴兵という
事に対して、 住所がないわけですから、徴兵の通知も受け取れ
ないわけでありまして、 そのような事情で5年間が過ぎていった
ようです。
アドルフ ヒットラーは、両手に手錠と、腰には綱を巻かれて、
されたのです。
【 明日に続く。】