第1324回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1323話 ヒットラーの入獄の事。 2015年10月16日金曜日の投稿です。




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                    【 山本 権兵衛 内閣総理大臣 】


        1923年の関東大震災で急遽、内閣総理大臣の大命降下があって

       就任した山本権兵衛 海軍大将は、実は2度目の総理で、 それ以前は

       以前紹介した、陸軍の上原元帥が 陸軍大臣の時に、辞任して、

       混ぜくり回して、内閣が総辞職した後、1度目の内閣総理大臣

       勤めていたのですが、 1913年 大正3年の12月に、当時の

       呉鎮守府司令長官の 松本 和 海軍中将が、 三井物産から

       当時の金額で、40万円という金額を内々に受け取っていたことが

       世間が知ることになっていったのです。


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            【 当時の呉鎮守府司令長官 松本 和 海軍中将 】


       三井物産は、イギリスのヴィッカース社から多額の工作資金を受け取り

       日本海軍に 高速戦艦を売りつけようと、三井物産を通して多額の

       現金を日本海軍にばらまいていたのですが、 そのような話を内偵して、

       新聞記者を通じて世間にリークしていたのは、陸軍の 山縣有朋 公

       の周辺の将校達でした。

        その後、 さらに、 ドイツからの情報を元に、 シーメンス事件という

       別の事件も陸軍によって 情報がまかれ、山本 権兵衛内閣は

       総辞職することになるのですが、 ちょうどその頃、 第一次世界大戦

       が始まる前の年の年末、 アドルフ ヒットラーは、指名手配を受け、

       逮捕され、バイエルン王国から強制送還を受けて、生まれ故郷の

       オーストリア ハンガリー帝国で、 刑務所に収監されたようです。




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         ここで 多くの研究家が戦後調査したところ、 弁明書をヒットラー

         書いて、数回に分けて当局に提出していたそうで、 それらの研究

         によると、 「ユダヤ人金融業者から金銭を少し借りたところ、

         利息が高額で、 またたくまに多額の債務となり、 その後、

         ユダヤ人の暴力組織が集団で毎日利息の取り立てに来て、

         殴る蹴るの暴力を受けるようになり、仕方なく、身を隠したー

         ーーー、云々。」と言う内容であったそうです。



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      我国ではパチンコ業者など 朝鮮人が多いですが、 それと同様に、

      当時のヨーロッパは、 ユダヤ人が金貸しを営むだけなら良いのですが、

      少しの金を渡して、多額の高利の利息を請求し、 日本の暴力団のような

      ユダヤ人の取り立て屋が大勢で押しかけて、 娘を連れ去ったり、土地を

      強引に取り上げたり、 家を取り上げたり、 ひどい事をしていたのです。

      つまり初めに手渡す現金はわずかなのですが、 そのお金を受け取った

      人達の財産を徹底的に、搾り取るような事を、大勢のユダヤ人組織で

      行っていたのです。



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      後に ヒットラーは、ユダヤ人を迫害するのですが、「 やれやれ、

      どんどんやれ。」と 手をたたいて喜ぶ人も当時は多かったのです。




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       ユダヤ人というのは、国を持たない民族で、横につながりのある

       日本で言う、民団や、朝鮮総連のような組織をヨーロッパや世界各地で

       作って、 お金を融通しあって、金融の世界で強い力を当時持っていた

       のですが、やり方が徒党を組んで、強引なことを行う事が多く、当時の

       人々から嫌悪される存在であったのです。

       オペラで、ベネチアの商人という題目がありますが、ひどい事を

       行うので、人々から恐れられるとともに、 嫌われる存在であった

       のです。  



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     反面、学者や医師、教師などの知識人も多かったのですが、 すべての

     ユダヤ人が 悪徳業者というわけではなく、良い人もいたのですが、

     日本の暴力団の6割が朝鮮人というように、 当時のヨーロッパでも

     悪い事を徒党を組んで行うユダヤ人組織が根を張っていたのです。

     ヒットラーは、 それを引き合いに出して、 自らが被害者であると

     申し立てたようです。


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       そして、 自分はそのような事情で徴兵通知を受け取っておらず、

       まったく知らなかったので、悪意が無く、 すぐにでも徴兵検査を

       受けて、兵役を志願すると申し立てたようです。


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        1914年 大正4年の1月、24才の新年を アドルフ ヒットラーは、

        鉄格子の中で迎えることになったようです。

        火の気のない、寒い冬の牢獄は、 ヒットラーには随分辛かった

        ようで、「 ここにいるくらいなら、兵役に就いた方がましだ。」と

        考えるようになった様です。 


        【  明日に続く。 】