第1330回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1329話 セルビアへの宣戦布告の事。2015年10月22日木曜日の投稿です。





         

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      サラエボで、皇太子夫妻が暗殺されたという話を聞いた、オーストリア

      ハンガリー帝国の国王 フランツ ヨーゼフ1世は、激怒し、戦争の準備

      を始めたのです。


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      皇太子夫妻の遺体が帰国すると、 葬儀を行い、すぐさまセルビア

      対して、最後通牒を突きつけたのです。


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      そして 小国 セルビアが、紛争の仲介を依頼したのが、ロシア皇帝

      であったのです。

      そして、わずか数週間で何があったのか、謎が多いのですが、



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       叔父さんにあたる、 オーストリア ハンガリー帝国の国王 フランツ

       ヨーゼフ 1世と、 甥にあたる ロシア帝国のニコライ2世との間で

       戦争が始まったのです。

       ロシア側の申し入れは、「 皇太子が暗殺された オーストリー 

       ハンガリー帝国の立場は重々承知しているが、 セルビアはロシアの

       軍事同盟先であって、 ここを攻撃する事は、ロシア帝国を攻撃する

       ことと同じである。」 と申し入れていたようですが、 それを無視する

       形で、皇太子暗殺事件の1ヶ月後にオーストリア ハンガリー帝国側が、

       セルビアに武力侵攻したのです。


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         そう言う経緯で、 ロシア帝国も、軍事同盟を結んでいる関係上、

         メンツを潰された格好となり、 軍事同盟の条約を遵守して、

        オーストリア ハンガリー帝国に宣戦を布告し、1914年7月28日

        戦争が開始されたのです。

        つまり、 オーストリア ハンガリー帝国は、 西部のセルビアと、

        東部のロシア側の2方面で戦争をすることになっていったのです。



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      当時 ドイツ帝国の国王であった、 ウィルヘルム2世は、 オーストリア

      ハンガリー帝国と 軍事同盟を結んでいた関係で、 オーストリア 

      ハンガリー帝国のフランツ ヨーゼフ1世に味方をしてというか、自らの

      野心を実現しようと、この戦争にドイツも参加して戦争を始めたのです。



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       イギリスや フランスに比べて ドイツ帝国は、 王侯貴族の統一に

       手間取って、 植民地獲得に乗り出すのが遅かったため、イギリスや

       フランス、オランダに後れをとっていたのです。

       そのため、 この戦争を利用して 領土を拡大しようと考えていたそう

       です。


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         つまり、 まとめると ロシア帝国のニコライ2世は、自国には

      関係の薄い、セルビアの話しに首を突っ込んで、ドイツとオーストリー

      ハンガリー帝国の二大強国と戦争をすることになっていったのです。


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       つまり、ロシア皇帝の ニコライ2世から見た場合、 叔父さんの

       フランツ ヨーゼフ1世 と 従兄弟の ウィルヘルム2世と戦争を

       始めたわけです。

       そして、ロシア皇帝側は、 ドイツや、オーストリアハンガリー帝国の

       背後のフランスやイギリスと軍事同盟を結んでいて、 協力を要請した

       のです。

       このような事で、フランスは、ドイツに対して宣戦を布告して、

       この機会を利用して、 以前ドイツに占領されていた、フランス領を

       取り戻そうと考えていたようです。

       つまり、 ドイツは 東のロシアと戦うために、兵力を2分割しないと

       いけないわけで、 後からフランスが戦争をする場合、半分の兵力

       と戦えばよいわけで、勝算があると考えていたようです。

       ドイツ側は、 フランスと戦争をするために、中立国であった、

       ベルギー王国に対して、軍隊を領内通過を申し込んだようですが、

       ベルギー側に拒否されて、 仕方なく、ベルギーに宣戦布告して、

       ベルギーを武力侵攻していくのです。


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         ベルギーにドイツ軍が侵攻したと知ると、イギリスもフランスの

         支援に乗り出し、 ヨーロッパでは全面戦争に突入したのですが、

         これらの国々が、世界の至る所に植民地を所有していたので、

         世界の至る所で、 植民地間で戦争が始まっていったのです。


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        19世紀の後半、イギリスのヴィクトリア女王の張り巡らせていた、

        政略結婚による、ヨーロッパの婚姻関係による平和の秩序は、 

        1900年に、ヴィクトリア女王が亡くなると、 その14年後、 親戚の

        ヨーロッパの王家どうしのメンツの問題で、戦争となり、 戦争当事国と

        軍事同盟を結んでいた、 周辺国が この戦争に自動的に条約を

        遵守して戦争に突入していったのです。


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         当時、 スイスは、中立を表明し、欧州大戦には参加せず、アルプス

         を挟んで、 南側のイタリー王国【戦後のイタリア】も、ドイツや

         オーストリア ハンガリー帝国と軍事同盟を結んでいたのですが、 

         のらりくらりと、参戦を引き延ばし、様子見を決め込んでいたのです。


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         このような顛末で 1914年 バイエルン王国の首都 ミュウヘンと

         いう都市で暮らしていた、アドルフ ヒットラーも 前線に出発する

         兵士の隊列を見て、 自分がどうすべきか、 どうあるべきかを

         考えるようになっていった様です。


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          ヒットラーの住んでいた アパートの周囲の人達も、次々徴兵で

          軍隊に入隊し、 学校の教育を受けていた生徒も、次々、新聞

          などの報道機関の宣伝に踊らされて、軍隊に志願していったの

          です。


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          みんな、戦争など知らない若い生徒や、青年だったのですが、

          どこかに探検に行くというか、 好奇心で行くと言うか、 そう言う感じ

          だったそうです。

          当時、 だれもが戦争は短期で終わると考えていたようです。



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          戦争を煽動する 戦意高揚の新聞記事を読んだ、まだ考えの

         しっかりしていない少年や 考えの浅い青年が軍隊に志願していき、

         その多くが戦死していったのです。



          【 明日に続く。 】