第1331回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1330話 軍事同盟の長所と短所の事。 2015年10月23日金曜日の投稿です。




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    1914年の大正時代というのは、 ヨーロッパは19世紀からずっと フランスを

    除くと、 国王と 貴族が支配する、 帝国主義国家であったのです。

    わかりやすく 日本風で紹介すると、 将軍様がいて、大名がいて、家臣が

    いて、 身分の上の人に、忠義を尽くすことが 当時求められていたのです。

    そのような、王様と 王様の国が自分自身の国が、他国に攻められるのを

    防止する抑止策として、 周辺の国と 軍事同盟を結んでいたのですが、




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   本来は国の平和を保つ、軍事同盟のはずが、 事もあろうに、全く関係の

   ない国々を戦争に巻き込んでいったのです。

  そして、日本も、 イギリスと軍事同盟を結んでいたので、 時の大隈内閣は

  まったく関係のない、ヨーロッパの裏側で、ドイツに対して宣戦を布告したのです。



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                【 当時の内閣総理大臣  大隈 重信 公 】


       その当時、 陸軍から圧力をかけられ、 戦争に突入していったのですが、

       陸軍に楯突いた場合、 内閣は総辞職で、 政権は崩壊したであろうし、

       ここは、大きく評価が分かれるところです。

       このような事情で、 いろんな国と安易に軍事同盟を結ぶと、 火の粉が

       降りかかるというか、 なんというか、戦争の渦に巻き込まれる恐れが

       多々あるので、 国土の防衛というのは、 熟慮して決断する必要が

       あるようです。 



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       ところで、アドルフ ヒットラーが当時住んでいた、バイエルン王国では、

       ドイツ皇帝からの 出兵依頼があって、 フランスとの国境線に兵力を

       展開することになっていったのですが、 これらの国々が行った事という

       のは、 当時の新聞などのマスメディアを使用して、戦意高揚記事を

       大量に印刷して配布し、 学校の教職員を通じて、若い少年などを

       戦争に行く兵士に志願するよう宣伝を行って行ったのです。


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         その結果、多くの戦争に対して 素人の少年 青年が兵士に志願

         していったわけです。

         実は、その中に アドルフ ヒットラーもいたわけです。




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                   【  昭和15年出版  余の闘争   】

     
     この ヒットラー刑務所の中で 下書きをして、 その下書きを、後の副総統

     となる、ヘス がタイプしたという この 余の闘争 または、我が闘争

     戦後呼ばれている本の中を見てみると、「 ゲルマン民族の大同団結が

      ーーーーー、云々。」 と どこかの哲学者や、政治家の話のような

     もっともらしい事が書いてあるのですが、  ヒットラーを研究している

     人々の話を総合すると、 それは、10年程時が過ぎた後の作文で、



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           【  左が刑務所に収監中のヒットラー、 右が ヘス  】




        実際の所は、 お金が尽き、 住む場所がなくなり、 食べるのに困り、

        軍隊の中に 逃げ込んだという事が本当のところのようです。

        それから、もう一つ 申し立てる学説があって、軍隊に入ると

        除隊した後、 バイエルン王国の国籍が取れるという事から、

        ヒットラーが、バイエルン王国の国籍を収得しようと、軍隊に志願した

        と言う、説もあるようです。

        どうして こうしたことを考えるようになったかというと、 生まれ故郷

        のオーストリア ハンガリー帝国に帰国すると その先はどうなるかと

        いうと、 また、 ユダヤ人金融組織と、ユダヤ暴力組織に命を

        狙われる恐れが多々あったようです。

        ヒットラーは、お金を借りたまま、行方をくらませていたわけで、

        借金を返そうにも、 お金を持っていなかったようです。

       



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           【 バイエルン王国外人部隊に入営中のヒットラー 右側 】


     アドルフ ヒットラーは、 バイエルン王国の陸軍に志願したのですが、

    配属先は、外人部隊という 部隊であったようです。

    つまり、 ヒットラーは、 外国人なので、 バイエルン王国の陸軍の部隊とは

    少し違う、外国人の部隊であったそうです。

    ヒットラーが、 ユダヤ人を怨む事になった 重要な出来事とは、 この部隊の

    中に、ユダヤ人の軍人がいて、 彼等は以前紹介したように、ユダヤ

    だけで 徒党を組む所があって、 彼等からすると、同胞を大切にすると

    こう言う事でしょうが、 何も知らずに 娑婆から入ってきた ヒットラー

    殴る、蹴るの暴行を集団で加えたようです。

    つまり、 新兵いじめのようなことですが、 研究者の中には、 ヒットラー

    自己中心的な考えで、 上官の命令に対して、「 これは 嫌いだから

    食べない。」とか、「 嫌いだから、やらない。」 とか、 口走ったがために、

    ユダヤ人の兵士から、 修正の指導というか、 制裁を受けていったようです。



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   「 嫌いな物は食べない。」 「 嫌いなことは出来ない。」という性格のヒットラー

   に対して、 軍隊の中では、そのような事は許されなかったのです。



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         このような経緯で、多くの少年、青年 壮年の男子が兵士として、

         集められて、 前線に送られていったのですが、 現在と違い

         当時は、 兵員輸送車などはなく、 将校は馬に乗り、兵士は徒歩

         で歩いて前線に向かっていったのです。


        【明日に続く。】