第1337回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1336話 二酸化カルボニルの事。 2015年10月29日木曜日の投稿です。
化学肥料を作って、 農地の土壌改良で使用すると、 農業生産が飛躍的に
向上し、 収穫が上がって、世界中の人々から喜ばれたのです。
小麦が植えても育たず、 フランスや外国から輸入に頼っていたドイツでは
この発見で、土壌改良した結果、自国で小麦の生産が出来る様になり、
国民は 両手で 発見者の ユダヤ人 フリッツ ハーバー博士に対して
感謝をしたのです。
そして、 ハーバー博士は、アンモニアや、硝酸の化学的抽出方法を
発見して、 ドイツでは大量生産が可能になっていったのです。
その結果、 自国で、 威力のある爆薬の製造が、輸入に頼ることなく
大量に生産が出来る事になっていったのです。
この明治時代の後半から 大正時代にかけて、ドイツの化学プラント
というのは、 大規模な設備投資が、国によってなされ 大きく進歩して
行ったのです。
そして ハーバー博士が取り組んだのが、農作物を食い荒らす 害虫を
なんとか駆除して、 農地の穀物を守れないかという研究でありました。
特に、葉物 と呼ばれる 野菜などは、害虫が食い荒らすと 品物の
値段が安くなってしまい、 当時、農民を大きく悩ましていたのです。
その化学薬品を作ったのですが、 これをさらに強力にして、フランス
人や、ロシア人を殺戮する 化学薬品を開発することになり、1915年
日本の大正4年の2月にそれが出来上がったのです。
これらの 人間を駆除する 強力な化学ガスは、 化学プラントで
大量生産され、 砲弾に充填されることになったのですが、 まったく
当時 技術が確立されておらず、漏れ出したりして 実用化には至ら
なかったのです。
そこで、 プロパンガスのボンベのような物に、 ガスを充填し、前線に
運んで、 風の吹く日に、風上からそれらを噴射して、 風下の敵軍
陣地を攻撃しようという作戦が計画されたのです。
そして、ドイツがそういう風の条件のよい場所として選定したのが、
ベルギーの支援で、 領内に助っ人として 援軍に来ていた イギリス
軍の陣地のある、イーベルという地域で実際に使用されることになった
のです。
この ガスというのは、 当時は、二酸化カルボニルと言う化学物質で
あったのですが、 その後、 ホスゲン と呼ばれるようになります。
と言う名称でありました。
アインシュタイン博士は、 人々の暮らしのためになる化学を実践している
と、 非常に高い評価をして、 模範的な科学者と呼んで、尊敬をしていた
のですが、 本人は、「 国のため、 戦争を早く終わらせるため。」と叫んで
とんでもない品物を考案していったのです。
1915年 日本の大正4年の4月22日 ドイツ軍によって、世界で
初めての化学兵器による、 強襲作戦が開始されていったのです。
【明日に続く。】