第1338回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1337話 イーベルの惨劇の事。 2015年10月30日 金曜日の投稿です。
1915年の春、 4月22日 ベルギー西部の町 イーベルという場所で
ドイツ軍は、 炭素と酸素と塩素を混合させた、二酸化カルボニルをガスボンベ
に充填し、 風上から、ボンベを噴射して、 煙状のガスをイギリス軍陣地に
送り込んだのです。
この実験的な新しい戦術、 後の世に 化学兵器と呼ばれる事になる、
毒ガス攻撃は、音もなく イギリス軍の陣地に向かって 流れていったの
です。
当時の 化学兵器の攻撃方法は、実に原始的な方法であったようで
ボンベの容器を 横に一列に並べて、 自らは毒ガスを吸わない
ようにガスマスクをつけて、 ボンベのコックを開いて、噴射すると
いう、 攻撃するドイツ側にも、両刃の剣というか、なんというか
大変危険な物でありました。
つまり、風が逆に吹いたりすると、 自分達に毒ガスが
流れてくるわけで、 大変危ない物で、 ボンベのコックを開く
ドイツ兵士も、命がけの仕事でありました。
イギリス軍の司令部では、何が起こっているか まったく 皆目 わから
なかったようで、 どういうわけか、 ドイツ軍が 前線の陣地を通り過ぎて
突破して攻め寄せてきたとしか、 考えなかったようです。
当然、 小数では支えきれず、 後退していったようですが、 ドイツ側の
調査では、4千数百人が、死滅したと記録にあります。
つまり、1個連隊程度の部隊が、 消滅してしまったのです。
ドイツ軍の司令部では、 この大戦果に気をよくして、どんどん
化学兵器を使用して行ったようですが、これらの出来事を研究
している人の説を紹介すると、 煙がどこかに行って消えてしまい、
イギリス兵の死体を確認しながら 敵の陣地を占領するわけですが、
これらの地域に、 ガスマスクを取った状態で、20時間から80時間
滞在していると、 今度はドイツ兵が次々 嘔吐や、失明に落ちいり、
どんどん死んでいったそうです。
つまり、ガスが見えなくなっても、 地表に、目に見えない、残留物
が残っているそうで、 それらが、風で 再度舞い上がったりする
ようで、 実にやっかいきわまりない毒ガスであったようです。
このような 毒ガスを ドイツはどんどん使用して行ったようですが、
2ヶ月程度すると、この戦術は、まったく戦果が上がらなくなっていった
のです。
その原因は何かというと、 相手側が ガスマスクをするようになり、
白い煙を見張りが発見すると、警報を出し、マスクを着用して、
ドイツ側が前進してくるのを 機関銃で待ち受けるようになり、
ドイツ側では、 また新しい戦術を考える必要に迫られていったのです。
に対して、 さらに強力な化学薬品を考えるよう、要請をしたのです。
【明日に続く。】