第1339回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1338話  愛國者とはの事。 2015年10月31日土曜日の投稿です。






    
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     1915年 大正4年の春、ドイツでは、毒ガスを戦争に使用して、数分で

     約1個連隊 約5千人のイギリス兵を抹殺したと、新聞が報じ、ドイツ国民は

     新しい ドイツが製造した、化学兵器に両手で拍手をしたわけです。


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      当時の貴族や、軍部、報道機関は、 ハーバー博士の優秀な頭脳を

      称賛したのですが、 学者の世界では、大変な非難を受けることになって

      いったのです。

       身近にいた、非難の急先鋒は、 ハーバー博士の妻のクララでした。


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                 【 ハーバー博士の妻 クララ  】


      実は、彼女は博士号を持つ優秀な科学者で、 夫の行為を、化学を

      人殺しのために使用することは許せなかったようです。


 
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       アインシュタイン 博士も、 ハーバー博士を理想の天才科学者と

       評価していたのですが、 これらの報道を聞いて、随分驚き、

       すぐ愚かな行為をやめるよう、 手紙を書いてよこしたそうです


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     ところが ハーバー博士は、「 戦争を早く終わらせるためだ。」 と、

     繰り返し主張し、 聞く耳を持たなかったそうです。

     当時、 ご本人の回顧録では、 ドイツのため、 国のためとと考えて

     いたようです。

     そして、 10日後、 博士の家から 妻のクララの射殺死体が発見され

     るのです。

     この1915年の5月2日の事件は、研究する人によって、いろんな推理が

     行われているのですが、 ハーバー博士が、クララを射殺したという説、

     クララが、自分で自殺したという説 とかーー、色々な説があるようです。

     

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       戦場では、 相手側も 防毒マスクを用意して、 毒ガスを使用しても

      全く意味が無く、戦果が出なくなっていったのです。


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        当時の防毒マスクは、 ゴムを使用したような、写真の様な初期の

        マスクでしたが、 この ゴムを浸透し、ガスマスクをしていても、

        死に至るという、強力な毒ガスの開発が提案されたのです。



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        そして、 それらのガスを、 当時の火力の中心であった、大砲の

        砲弾の中に仕込んで、 発射し、 数キロ先の相手の陣地に打ち

        込んで 炸裂させて、 毒ガスをまき散らすという、構想が具体化

        していったのです。



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       相手側の フランスやイギリスも、 フランスの ナンシー大学の


       ヴィクトル グリニヤール教授 の研究していた農薬を強力化した

       まだ未完成な毒ガスを、前線で ドイツ側に報復として 使用して行った

       のです。


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        現在のベルギー南部は、 膨大な砲弾が撃ち込まれ、 毒ガスが

        使用され、 平和な村や町は、廃虚となり、多くの市民が巻き込まれて

        死んでいったのです。

        そして1915年7月、 恐ろしい強力な新兵器が、新たに使用されて

        いったのです。


        【明日に続く。】