第1359回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1358回 通商破壊作戦の事。 2015年11月21日 土曜日の投稿です。






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        年は変わって 1917年 大正7年に入ると、 ドイツ側では新たな

        作戦が立案され、実行に移されていったのです。

        イギリスや、フランスを屈服させるにはどうしたら良いかと、考えた時に

        当時のドイツ人が考えついたのが、 原料を輸入に頼るイギリスなどの

        船をことごとく沈めてしまえば、 兵器、弾薬の製造が出来なくなり、

        ドイツの勝利が近づくに違いないと、考え至ったようです。



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         当時、検討した結果、大まかな海上輸送ルートは3方向あって、

         一つはアメリカなどの北米や、南米からの大西洋を通過して入港

         してくる輸送ルート、 そして、 アフリカのケープタウンなどを経由

         して入ってくる、アフリカ東岸沖の 大西洋のルート、 もう一つは、

         アジア、オセアニア、インド、などから入ってくる、スエズ運河経由の

         地中海を通過し、 ジブラルタル海峡を通過して入ってくるルートで

         ありました。 


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         これらを インスタンブールを補給基地にして、地中海で破壊活動

         を行う艦隊と、 サイパンなどを拠点として、 南洋諸島を根拠地と

         する 極東艦隊、 大西洋で 海上封鎖をする バルト艦隊によって

         輸送船を撃沈していこうという そう言う作戦であったのです。

         これらの ドイツの新兵器、 潜水艦を使用しての 輸送船撃沈

         作戦は、おおいに、イギリスやフランスを苦しめていったのです。


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          特に、インド洋、 地中海では、 山縣 有朋公の御用商人の

          鈴木商店の 輸送船が撃沈されるにいたり、 日本の国の中でも

          ドイツの潜水艦隊の補給の拠点となっている、ドイツ領 南洋諸島

          への武力討伐が叫ばれ、 地中海を通過して、 フランスのマルセイユ

          港までの 日本海軍の艦艇による護衛が求められていったのです。



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      このような経緯で、 日本海軍はドイツ領のサイパン島への武力討伐を

      行う事になっていったのです。

      当時、水中の潜水艦への有効な攻撃方法がまだ未開発の当時、日本

      海軍が考えたのは、燃料や、食糧、 魚雷などを補給している、補給基地を

      武力討伐して、 ドイツの潜水艦を 兵糧攻めにしてしまおうと考えたわけ

      です。 



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      そして、大西洋では、アメリカの商船が次々撃沈され、 新聞でそのことが

      報道されると、 ドイツに対する反独感情が高まっていったようです。

      この潜水艦による、輸送船をことごとく撃沈して、イギリスやフランスの

      輸入を止めてしまおうという作戦は、大きな成果が上がったのですが、

      反面、 日本や、アメリカの人々に、 非武装の民間船を攻撃する

      卑怯者のドイツ人と言う 印象を植え付けていったのです。


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       イギリス政府は、工作員を派遣して、ドイツの理不尽な無差別雷撃を

       ことさら大きく誇張して、 反独感情を煽る 宣撫作戦を実行し、当時の

       アメリカの議会の議員に、 欧州戦線へのアメリカの派兵を求める

       根回しを行って行ったのです。


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          ところが、 当時のウィルソン大統領の周辺は、なかなか腰を

          あげなかったのです。

          と言うのが、 ドイツ政府が、 アメリカのドイツ人社会を通じて、

          圧力をかけていたのです。


       【 明日に続く。】