第1360回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1359話  ドイツ帝国の攻勢の事。 2015年11月22日日曜日の投稿です。





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    1917年という年は、大正6年ですが、 大ドイツ帝国が、フィンランド

    国境から、 ドイツ製の武器や弾薬、共産革命の印刷物や、 印刷の機械を

    ロシア側に持ち込んで、当時、ピエロのような役割の レーニンを中心として



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    どんどん、ロシアの内部分裂を工作して行ったのですが、2月革命という

    革命の後に、 今度はドイツ側が、フランス政府の息のかかった政治家や

    軍閥を放逐して、 10月革命を起こして、 レーニンという御輿を担いで

    世界で初めての共産主義革命が起こったのですが、 当初の頃はドイツ

    政府の 傀儡政権であったのです。



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       ドイツが言うなりの国境線で 新しい傀儡政権のロシア政府と休戦協定

       を締結した後、 ドイツ側は、最小限度の守備兵力を残して撤退し、

       その兵力を フランス、ベルギー国境に回したのです。



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        そして、 オーストリア ハンガリー帝国も、ロシア側の兵力を

        イタリー王国や、フランス側にどんどん援軍として送り込んだのです。

  
       
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    このような経緯で、 イギリスやフランスの軍隊が陣地を作って対峙していた

    ヨーロッパの西部戦線では、 ドイツ側が 予備勢力を投入して、圧力を

    強めて、 連合国側は至る所で押し返され、撤退が続き、 フランスの首都

    パリから、約100キロの地点までドイツ側に占領されるという危機的な状態

    に至ったのです。


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       次にドイツ側が何をしたかというと、 巨大な列車砲を鉄道で移動して

       その砲身を フランスの首都 パリ に向けて、連日連夜 砲撃を

       開始したのです。


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       これらの長距離砲は、 横浜から、東京を砲撃するような感じで、

       どんどんパリ市内に砲弾が着弾し、 人々は避難を開始したのです。


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       当時のフランスの大統領は、 パリがドイツ側に占領されるのは時間の

       問題と考え、 公文書などを南部の都市に疎開させ、遷都の準備を

       進めるとともに、パリじゅうのタクシーなどが、前線に兵士を運搬して

       フランス市民は、団結して 首都防衛にあたったのです。



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      時のイギリスの首相の デビット ロイドジョージは、このままではフランス

      が占領され、 イギリスも戦争に負けてしまうと、 頭を抱えて どうしたら

      良いか智恵を搾る事になっていったのです。


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      当時、 イギリスの周辺の海域で、輸送船が次々 ドイツの潜水艦に

      雷撃されて沈没し、 イギリスの戦略物資は枯渇し、じわじわとその影響

      が現れていったのです。


      【 明日に続く。】