第1364回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1363話 戦争請負人の登場の事。 2015年11月26日木曜日の投稿です。





   

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  1917年 4月6日、アメリカの上下両院は、ドイツに対する戦争を承認して、

  アメリカ合衆国は、 ドイツ政府に対して、 宣戦布告を行い、 ドイツ政府も

  どんどん、大西洋上でアメリカの輸送船を攻撃して行ったのです。

  つまり、 ヨーロッパに到着する前に、 大西洋上でアメリカ軍の輸送船を撃沈

  してしまおうというわけです。




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    そのような中、 ヨーロッパ派遣軍の司令官に大統領が指名したのは、

  アメリカの有力上院議員の娘婿の、 ジョン パーシング 陸軍少将でした。

  この人は、どういう人かというと、 軍隊の中で 警棒 とあだ名がつく程度、

  冷酷、非常で、強引な作戦を強行して、前に前に突進する人であったのです。





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                   【   ジョン パーシング 陸軍少将 】


       どうして彼が選ばれたかというと、 その理由は、政治的圧力と、

       過去の彼の無敗を誇る戦歴でした。

       彼はアメリカの日本駐在の武官をしていた時もあって、日本通の

       軍人でもありました。


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        当時アメリカは、メキシコがドイツの支援で攻めてきたらいけないの

       で、主力部隊は温存し、予備兵力を充分に残して、ヨーロッパには

       小規模な部隊を送る予定であったのですが、 パーシング少将は、

       父親のコネや、自分のパイプを使って、 せめて3個師団の程度の

       軍団規模の派遣になるように、根回しを始めていったのです。


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     パーシング陸軍少将の用兵方法や、 外国の軍隊との交渉の態度は、

     後のバットン将軍が模倣して行ったようで、 彼も、パーシング陸軍少将

     には、大きな影響を受けたようです。


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          パーシング陸軍少将の 外国の軍隊との交渉で、アメリカの独自の

          立場を主張して、 アメリカの軍隊の活動する場所を、目立つ部分

          に限定して、 他国の干渉を許さない態度は、 バットン将軍の

          模範とするところであったようです。

          反面、 警棒 とあだ名がつく程度、 強引で暴力的で、部下を

          蹴飛ばして、 死地に追いやるような作戦を強行するので、当時

          指揮下にあった、マッカーサー陸軍大佐とは、対立していったよう

          です。



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         当時、連合国総司令官であった、 フランス陸軍の フェルディナント

         フォッシュ 陸軍大将は、 おおいに運用に悩むことになっていった

         様ですが、 当時、数ヶ月でフランスの首都のパリは、ドイツに占領

         されるであろうと、言われる程度、 戦況が悪化していて、

         アメリカ軍の言う事を聞かないといけない程度、戦況が日増しに

         ジリジリと悪化していたのです。


         【 明日に続く。】