第1365回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】


第1364話 ドイツ軍のミハイル作戦の事。 2015年11月27日金曜日の投稿です。





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    ドイツでは、1917年4月6日に、ワシントンで、対ドイツ戦争にアメリ

  合衆国が参戦すると、 上下両院で可決されたという情報は、電信で知らされ、

  多いに危機感をあたえることになった様です。

  
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        当時、陸軍参謀本部では、数ヶ月後、アメリカから大量の物資、武器

       弾薬、兵力がヨーロッパに到着すると、 ドイツや、オーストリア ハン

       ガリー帝国の兵力だけでは、 戦争に勝利することは難しいと考え、

       どうしたかというと、 4月中に、全兵力、武器弾薬を集中して、大攻勢

       をかけて、フランスを一気に殲滅し、 イギリス軍と、フランス軍を分断し

       て、イギリス軍を ドーバー海峡に追い落とそうと、 こういう野心的な

       作戦が立案されたのです。


  
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       これらの 1917年 4月後半から 短期間の準備で、部隊編成し、

       長い前線の中央を突破して、 連合軍を 二つに分断しようという

       そう言う作戦を  ミハイル 作戦と呼びます。



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          ドイツでは、予備兵力も、 予備の弾薬の備蓄、 毒ガスも、

          すべてを投入して、アメリカから軍隊が到着する前に、すべてを

          鉄のほうきで、 かたづけてしまおうとしたわけです。



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          まず、空では、すべての飛行機が前線に投入され、フランスや、

          イギリスの航空機圧倒し、制空権をドイツ側が握ると、 陸上では



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         限られた、 一部分に 大量の毒ガス兵器が投入され、 その部分に

         大挙して、 陸軍が集中して進撃し、前線を破って、損害にかかわ

         らず、 どんどん、前進を行って行ったのです。

         その結果、 フランス側では、 前線が崩壊し、 多くが退却を

         繰り返していったのです。



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      そして、ドイツ軍はフランスの首都 パリまで、約60キロ、約徒歩で

      2日から3日程度の距離まで迫ったのです。



       【 明日に続く。】