第1367回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1366話 連合軍の反撃の事。 2015年11月29日日曜日の投稿です。
1917年 大正6年の9月、 アメリカ軍が欧州で部隊を整え、強力な砲火と、
圧倒的な物量にものを言わせて、前進を開始したのです。
その方法とは、 後方から、進撃するであろう進路を、砲兵隊で昼夜問わず
砲撃して、 砲弾の雨を降らせて、徹底的にたたいた後、歩兵で前進して、
その地域を制圧するという戦法であったのです。
このやり方は、 兵力の消耗を避け、実に歩兵にとっては、危険の少ない
戦法でしたが、これを実現するためには、 大量の火砲と大量の弾薬、
そして、それを支える 強力な輸送部隊が必要であったのです。
当時の日本陸軍の記録によると、 驚いたのはその補給体制の仕組み
で、 彼等はまず、 工兵隊で、海岸を整備して、 大きな輸送船が横付け
出来る様に港湾設備を整えると、 そこから前線まで、 大きな道路を整備
して、 輸送部隊が、港と前線を往復して、大量の武器弾薬食糧を届ける
わけです。
このような、補給システムが構築され、 後方からどんどん物資が届き
雨のように砲弾を撃ち込むことが可能であったのです。
そして、ドイツ側の横から攻撃を開始して、ドイツ側の補給路を遮断した
ことで、 ドイツ軍は、補給路が占領され、 武器弾薬食糧が前線に
届かなくなり、 パリまで あと少しまで進んだところで、後退を開始した
のです。
当時のアメリカの新聞や、ラジオは、この出来事を国内で報道することに
なっていったのですが、 アメリカ政府が戦争を正当化するための宣伝
材料として、 欧州派遣軍のパーシング陸軍少将を賛美して、英雄の
ように報道するよう 世論操作をして、 銃後の人達に、戦争に協力する
ように呼びかけていったのです。
パーシング陸軍少将 は、 ウィルソン大統領より、陸軍中将に推挙
され、 アメリカの議会もそれを承認し、ますます 権限が強化されて
いき、 アメリカから大西洋を渡って、とんどん兵力が増強されて
いったのです。
そして、ヨーロッパでは馬車が主流だったのですが、 ガソリントラックが
大挙して、ヨーロッパにアメリカから送られて、 港から前線まで
どんどん物資や、武器弾薬を運搬して、 ドイツ側を圧倒しだしたのです。
【明日に続く。】