第1368回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1367話 ウオータータンクの事。 2015年11月30日 月曜日の投稿です。





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    イギリスのチャーチル海軍大臣が推進していた、 ウォータータンク

   計画というのは、農業用トラクターとして開発された、クローラー

   ついた車体を利用して、陸の戦艦という、そう言う発想で作られて

   行ったようです。

   いろんな説があるのですが、試作品については、1915年程度から

   開発されていき、 1916年には少数のタンクが実験的に前線で使用された

   と記録にあります。

   当時伝えられた話では、50両程度 ヨーロッパに送られて、途中で

   故障して 動かなくなり、 実際使用されたのは 5輌程度であったと

   言われています。


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    この時は、ドイツ軍の前線を11キロ程度突破して、 内部に侵入した

    のですが、少数で限定的に使用されたので、撃破されたとか、そうい



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    う話が伝えられていたのですが、 1917年 これらの兵器が量産

    され、ドーバー海峡を渡って、大量にヨーロッパで使用され始めた年で

    あったのです。



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      これらの原始的な後の戦車ですが、 どうしてタンクと呼ばれるように

    なっていったかというと、 ドイツのスパイに悟られないように、水タンク

    の生産と言う事で、製造され、 作っていた工場の工員も、 水タンクと

    信じて疑わなかったそうで、 そういう経緯から、 タンク と名称が当時

    ついたようです。


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        現在の戦車と比較すると、いびつな形ですが、当時は塹壕陣地を

        突破するには どのような形状が良いか、 考えて知恵を出して、

        このような形になっていった様です。


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        この兵器、 当時ドイツ人や、フランス人に 驚きをもって見られ、

        両国も、 戦車を作って登場させるのですが、 それは1年後、



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        1918年になってから 登場してくるのですが、 初期の戦車という



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        のは、 速度が遅く、 故障が多く、 ガソリンの気化ガスが内部で

        爆発する恐れがあって、ずいぶん危ない乗り物であったのです。



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      ところで、日本陸軍が大正時代に、ガソリンエンジンを嫌って、ディーゼル

      エンジンの 軽油仕様に、どうしてこだわっていったかというのは、あれは

      いつだったか、大正7年の年末に、2両ほど、日本陸軍がイギリスから


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         中古の 菱形戦車を輸入した時に、ガソリンエンジンの燃料の

         気化ガスが、車内に充満し、爆発して、 操縦を指導しに来日して

         いたイギリス人教官が、 爆死するという痛ましい事件があって、

         その後、 発火しにくい ディーゼルエンジンの採用に傾いていった

         ようであります。

         当時の日本人は、 元気だったイギリスの戦車の操縦の先生が

         戦車ごと爆発して 事故死されたのは 相当ショックであったよう

         です。

          ガソリンスタンドで、給油中に、絶対たばこを吸ってはならない

         というのは、ガソリンが蒸発して、 気化したガスに引火する恐れ

         があるためで、 大変危険な代物であったのです。



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        話は欧州の戦場に戻って、ドイツ軍と、オーストリーハンガリー帝国の

       軍隊は、全力でパリをめざして進撃していたのですが、 側面から、

       アメリカ軍に攻撃され、ベルギー方面からは、当時の新兵器の イギリ

       ス軍のタンクが大挙して攻撃を仕掛けてきて、 大敗を繰り返し、 どん

       どん、追い詰められていくことになっていったのです。


        【明日に続く。】