第1419回 昭和の伝道師、【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1418話、初期のナチスの制服の事。 2016年1月21日木曜日の投稿です。





   
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   アドルフ ヒットラーが、毎日 新聞に目を通し、 説法の人目を引く話の

ネタを捜していた当時、 スイスのアルプスの向こう側のイタリー王国【現在の

イタリアの事】の政治動向を関心を持って読むようになって行ったのです。

イタリー王国の 元陸軍軍曹 ベニート ムッソリーニが、退役軍人の組織を

まとめて、政治勢力とし、 急速に影響力を拡大しているという、ニュースで

あったのです。




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    陸軍軍曹というと、 ヒットラーは陸軍伍長だったのですが、 1つ階級が

  上程度でありました。

  ヒットラーは新聞を読みながら考えたわけです。


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   「 そうだ、 陸軍軍曹の ムッソリーニに出来て、 世に出来ないわけがない、

   退役軍人は、ドイツ国内に数百万人いる、 ムッソリーニのように、世の、

   国家社会主義ドイツ労働者党に、 退役軍人を入党させ、ムッソリーニのように、

   1つの勢力にまとめることが出来れば、 同じように 大きな組織に発展するで

   あろう。」 と、 当時 ひらめいたようです。



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    ヒットラーは、イタリー王国の情報を集めて、 イタリー戦闘団 ファッシーの

   模倣を始めたのです。

   どのような党なのか、 どのような組織なのか、 どのようにして政治資金を

   集めているのか、 どのようにして 党の規律を維持しているのか、 そういう

  ことを、 ヘスに命じて、調べさせて、どんどん、マネをしていったのです。



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 イタリー王国の イタリー戦闘集団 ファッシーは、党員は、 黒い服を着て

 みんな制服を統一していると聞くと、 さっそく、 ヒットラーはマネをして

 いったのです。


   
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    このような経緯で、 ドイツのバイエルン王国に拠点を構える、ヒットラー

    国家社会主義ドイツ労働者党の制服は、 ムッソリーニ達の模倣をして、

    黒いネクタイに、 黒いシャッとなっていったのです。

    つまり、 ナチスの制服は、 ムッソリーニ達の マネであったのです。

    そして、 黒い制服が出来たことで、 一見して、ナチスの党員と言う事が

    遠くからでもわかる様になっていったのです。


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     この 黒い色というのは、宣伝ポスターにも 使用され、黒地に白字で、

     よく目だったようです。



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      ヒットラーの親衛隊の制服は、 黒い制服ですが、このイタリー王国

         
      の クロシャツ隊の制服の流れが、 ナチスの突撃隊に採用され、

      その後、ヒットラーの親衛隊にも引き継がれていったのです。


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      1922年 10月、イタリー王国で、クロシャツ隊が、ミラノを占領し、

      その統制下におくと、 数万人が黒いシャッを着て、ローマに向かって

      デモ行進していったのですが、 これらの行動を見ていたヒットラーは、

      自らも、 これらのイタリー王国の退役軍人達の行動を模倣して、

      レームが主張していた、 ベルリン政府の打倒計画に、同調するように

      なって行ったのです。

      そして、 日本の関東大震災があった、1923年 大正12年に

      進んでいったのです。


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      当時 ヒットラーは、「イタリーのムッソリーニに出来て、我々に

      出来ないはずがない。  ドイツ全土の退役軍人にまずは入党を

      呼びかけて、大同団結しなければならない。」 と、演説するように

      なって行ったのです。


      【 明日に続く。】