第1427回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1426話 ヒットラーの迷いの事。 2016年1月29日金曜日の投稿です。




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     アドルフ ヒットラーが、 アメリカの フォード モーターの創業者、

ヘンリーフォード社長を 好きというか、 崇拝していたと言うお話を紹介しましたが、

ヒットラー自身は、 アメリカという国に対して、 ドイツからあこがれをいだいていた

時期というのが、 1923年頃であったようです。


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   ちょうど、この当時、 ヒットラーが自分の家のように、通っていた家が、

  アメリカから帰国してきた、 ドイツ人のエルンスト ハンフシュテングルと言う

  アメリカで、美術本の出版社に勤務していたという、 そういう人で、ピアノの

  上手な男だったそうですが、 彼は、美術の絵の知識もあり、 ヒットラー

  自宅に招いて、 ヒットラーの機嫌をとっていたようです。


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    ヒットラーと言う人は、 父母は既に死去し、 義理の兄は行方知れず、

  義理の姉とは、親の遺産分与で、裁判沙汰となり、 話もしなくなり、 妹とも

  音信不通で、 妻も子供もおらず、 随分寂しい身の上であったのです。

  当時 34才の アドルフ ヒットラーは、 このアメリカ帰りのドイツ人と、絵の

  話などで、 話題が合うことから、 エルンスト ハンフシュテングルの家に

  通うようになって行ったそうです。

     がっ、 この夫婦は、ヒットラーの機嫌をとって、当時 利用しようとしていた

   ようです。


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      彼の妻は、 レナ、  子供は、 エゴンといい、 よく 食卓を囲んで、

      ヒットラーと 食事をしていたと 伝えられています。


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   この 妻のレナの話として、 当時 ヒットラーは ずいぶん自信に満ちていた

 かと思うと、 気弱な1面も見せて、 情緒不安定であったそうです。



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 ヒットラーは、彼女達から、 アメリカの世相や、 暮らしぶり、 風俗、物の

 考え方などを聞いて、 貧しい、経済が混乱するドイツを、なんとか、アメリカの

 ような、 マイカーを所有して、 家を持って、 余暇が楽しめる人生が送れる

 そういう ドイツ社会を作らないといけないと、 考えていたようです。



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        後に、この夫婦は、 ヒットラーを捨てて、 イギリスに亡命し、

       その後、アメリカの情報局に、ヒットラーの話を売るようになり、

       ヒットラーが人を信用しなくなる、原因にもなっていくのですが、

       1923年当時、  ヒットラーは、この夫婦に随分気をゆるして、家族の

        ようなつきあいをしていたそうです。

       そして、 自分の不安を打ち明けたようです。、

       「 もし、 武装蜂起が、失敗したらどうするのかーーーーー。」




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   ヒットラーは、エルンスト ハンフシュテングル達と相談して、 逃走経路を

 事前に下見して、 逃走用の車を用意して失敗した時の備えをするのでした。

  いよいよ、 ヒットラーも参加して、 武装蜂起をするのですが、 当時

  武装蜂起の主導権は、 リヒター元通信大臣や、 ルーデンドルフ 陸軍大将

  が物事を進めていき、 ヒットラーは、その船に乗った形であったのです。



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  こうして、 リヒター元通信大臣が作った、 ミュンヘン一揆と呼ばれる

  武装蜂起の船は、 あれよあれよという間に、時間が過ぎていったようです。



     【 明日に続く。】