第1428回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1427話 三頭政治の事。  2016年1月30日土曜日の投稿です。






イメージ 1



  ベルリン政府のカップ一揆で失脚して、ミュンヘンに逃れてきた、リヒター

元通信大臣の計画した、 イタリー王国のムッソリーニのローマの進軍を手本と

したベルリンへの進軍計画なる船に、ヒトラー、レーム、 ゲーリングは乗船すること

になり、途中から、 ルーデンドルフ陸軍大将も乗船して、 船は進み出したのです

が、その当時のドイツの南端の旧バイエルン王国ミュンヘンの近くの政治状況は

どうかというと、 日本で言う 県知事に該当する役職、 バイエルン州総督になって

いたのは、グフタフ フォン カール  という人物でした。




イメージ 2



          【 グフタフ フォン カール  ドイツバイエルン州総督 】


   当時、 このカール総督は、 治安維持の為、軍隊である ドイツ第7師団の

   オットーフォン ロッソウ陸軍少将や、 バイエルン治安警察長官 ハンス 

   フォン ザイザー大佐と連立を組むというか、 協力関係を築いて、治安を

   維持していたのです。

   つまり、3人が協力する形で、三頭政治が行われ、行政が機能していたの

   です。


イメージ 3
 


                  【  ルーデンドルフ 陸軍大将 】


   リヒター元通信大臣の計画に同調した、ルーデンドルフ陸軍大将は、ドイツ

国内の各師団や、 軍司令部の司令官、高級参謀に根回しのつもりで、自分に

同調して、 武装蜂起に協力するよう、 手紙を送ったようですが、 この手紙が

当時の、ワイマール共和国の国防大臣のオットーゲスラーの手にするところとなり、

計画は、 事前に ワイマール共和国の国防省の知る所となって行ったのです。



イメージ 4
  


          【 ワイマール共和国の オットーゲスラー国防大臣 】


   ゲスラー国防大臣は、当時、 ルーデンドルフ陸軍大将が、ミュンヘン

 第7師団と連んで、武装蜂起する可能性が高まったとして、 1923年 日本の

 大正12年 10月20日  ワイマール共和国軍 第7師団 師団長の オットー

 フォン ロッソウ陸軍少将を解任する命令を発令したのです。



イメージ 5


        
        【  ドイツ第7師団 師団長 オットーフォンロッソウ陸軍少将 】


   当時を知る、 ヘス副総統のお話によると、 理由不明の解任命令に対して

  ロッソウ陸軍少将達は、ベルリンのワイマール共和国 国防相達に、叛意を

  いだくようになって行ったようです。

  そして、一緒に政治を動かしていた、 カールバイエルン州総督は、第7師団は

  バイエルン州総督の監督下の軍隊であり、 師団長は、 バイエルン州総督が

  任命する物であると主張して、 ロッソウ陸軍少将達を 州の総督命令と称して

  第7師団の師団長に 再度任命する発表を行ったのです。

イメージ 6


   
         このような事から、 バイエルン州総督と第7師団の司令部と、
  
         ベルリンの ワイマール共和国の国防相達は、対立して行く事に

         なって行ったのです。
        

   【 明日に続く。】