第1440回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1439話 「暗くなるまで待て。」の事。2016年2月11日木曜日の投稿です。






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  1923年 日本の大正12年の11月9日 突撃隊の隊長のレームが命令して

2回目の偵察から帰って来た面々から 詳細な報告を聞いたレームは、ヒットラー

詰め寄って、「 なあー、お前、 暗くなるまで待って、 治安警察の庁舎を包囲して

様子をうかがい、奴らの防備の薄い場所を突こう。」と、意見具申したのです。



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   つまり、 交差点にバリケードがあり、 小銃を構えている治安警察の陣地に

正面から突進しても、 こちらが火力が弱いので、 大きな損害が出るのを防ぐ為、

 もう少し偵察して、 彼等の弱い部分を、 暗くなって強襲しようと提案したのです。


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          【  元、ドイツ陸軍参謀本部次長 ルーデンドルフ陸軍大将 】



    ところが、 この提案を、 ルーデンドルフ陸軍大将がまたしても、否定して

 こう言い放ったのです。

 「 時間がたてば経つほど、 やつらは準備が整い、 こちらを不利になる、

 わしが先頭に立って、 治安警察の庁舎に乗り込めば、やつらは、恐れおのの

 いて、発砲はしないであろう、 ドイツの騎士は、正々堂々と相手と立ちあうべき

 である。」と、 切って捨てたのです。


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    第1次世界大戦中、 ドイツの新聞は、 陸軍参謀本部次長をしていた、

 ルーデンドルフ陸軍大将を、東部戦線でロシア軍相手に善戦し、 至る所で

 勝利できたのは、ルーデンドルフの作戦が、良かったためと、 多いに宣伝し、



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 当時、 神様のような別格の存在であったのですが、 わかりやすく言えば、 


戦後の、日本の山本 五十六元帥のような、 神聖な雰囲気があって、 その

ルーデンドルフ陸軍大将が先陣となって、真っ昼間に、 ミュンヘンの通りを隊列を

組んで闊歩し、治安警察の庁舎にデモ行進し、庁舎に乗り込もうと主張したのです。 


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    それから、 いろんな団体、部隊が集結し、 これ以上彼等に待ちぼうけを

   食わせる訳にもいかなかったようです。

   このような経緯で、 事件当日、あてにしていた 合力を約束していた 

   第7師団と、 治安警察と、バイエルン州総督が裏切り、敵に回って、武力

   衝突に至るのですが、 当日、あれよ、あれよと、いう間に時間が過ぎていき、

   日本には、泥棒を捕まえて、縄をなうという言葉がありますが、 ヒットラー達は、

  ルーデンドルフ陸軍大将のドイツの騎士道精神とやらに、載せられた形で、広場

  


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     を出発して治安警察の庁舎のある方向に、通りを進んでいったのです。



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     そこには、 小銃を構え、 道路と交差点を障害物で封鎖した警官隊が

    待ち構えていたのです。



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      ムッソリーニのローマへの進軍なる事案と、ヒットラーミュンヘン一揆

   を比較すると、 ムッソリーニのローマへの進軍の 規模は10分1程度の規模で

   ムッソリーニが、事前に、国会議員となり、全土の退役軍人会を動かしていた

   のと比較すると、 ヒットラーの場合は、形をまねただけで、ミュンヘン

   一部の地域だけで、内容がお粗末であったとしか言いようがない計画で

   あったのです。


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  これらの、お粗末なルーデンドルフの計画のまま、ヒットラー達は進んで行って、

  悲劇となって行くのです。


      【 明日に続く。】