第1441回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1440話 武力衝突の事。 2016年2月12日金曜日の投稿です。
1923年の日本の関東大震災があった大正12年の11月9日のお昼、
話によると、 「中央にマントを羽織った、 ルーデンドルフ陸軍大将を中心に
国家社会主義ドイツ労働者党の幹部が横一列にならんで、勇ましく 前進して
いった。」と、こう語られているのですが、 当時を研究する人の中には、 この話は作り
話ではないかという人も大勢いるのです。
大通りを行進し、 ドイツの武力革命の為に皆を導いたと、ナチスは
正統な行為とし、賛美して、 当時の弾圧に関わった関係者に復讐を始めた
のです。
そして、当時 上の様な、こう言う写真がナチスによって、合成されて、
ブロマイドで多数作られ、 ヒットラーの宣伝に利用されていったという説を
唱える人が非常に多いのです。
当時、 これらの宣伝に異論を挟む人は、 親衛隊や、ゲシュタポに逮捕
されて、社会から消えていったのです。
おわず、 ヒットラーは、同志の仲間を置き去りにして、自分だけ逃亡していくの
です。
それも、一人だけ 車に乗って、 一目散に逃げていったそうで、 これらの
事を隠そうとして、 こういう合成写真を作って、 ウソも10回唱えると本当に
なると言う話がありますが、 作り話で実際は、後の方にいたというのが
当時を研究する人の大方の意見です。
では、どのような事が起こったのかというと、 治安警察が小銃を構える
障害物で防衛陣地を造った、 交差点に、 ナチスのデモ参加者が侵入し
警官数名が殺害され、 警官隊が応戦し、 ヘルマン ゲーリングは、
ふとももに貫通銃創を受けて、出血し、 その場に倒れ込み、
リヒター元通信大臣は、胸に銃弾を受けて、 倒れ、 息をひきとり。
多くの人が、この武力衝突で、無くなったのです。
行列の 先頭の方で、 銃声がして、 多くが死傷し、 ヒットラーが
行方不明になると、 多くの参加者が、 風船が破裂するように
飛び散って、逃亡し、 ミュンヘンの町の中は、騒然となったのです。
どうも ヒットラーは仲間を置き去りにして、 一人逃亡し、 その事を
隠すのに、後日、都合の悪いことを知る、 いろんな人をまた、殺して
いったようです。
そして、当時 ヒットラーの食事の世話などをしていた彼女も、
ヒットラーの都合の悪い事を知りすぎていたため、とんでもない
波乱の人生を送る事になるのです。
実は、ヒットラーは 同志を見捨てて 逃亡し、彼女の元に逃げ込んだ
のです。
後に、突撃隊の隊長のレームは、 顛末を聞いてため息を
ついたと、言われています。
そして、このレームも、都合の悪いことを知りすぎたため、
ヒットラーに殺されることになって行くのです。
アドルフ ヒットラー 34才の 秋の出来事でありました。
【 明日に続く。】