第1442回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1441話 「人質を解放せよ。」の事。 2016年2月13日 土曜日の投稿です。





イメージ 1




     ところで、 ミュンへンの治安警察の庁舎の近くの通りで 武力衝突が

    あった頃、ローゼンハイマー通りの ビュルガッーブロイケラーに監禁されて

    いた人達を、 見張っていた部隊の指揮官であった、 ヘス 副総統は、



イメージ 2



    逃走してきた 複数の党員から、 治安警察の部隊に、 国家社会主義ドイツ

    労働者党のデモ行進が、武力討伐され、 四散したことを知らされたのです。


イメージ 3
 



     ここで、ヘス副総統は、重大な決断を求められたのです。

     ひとつは、 総統の命令を忠実に厳守して、 人質を監禁したまま、籠城

     するか、  もう一つは、 人質を外に出して、 人質を盾にして、 再度 

     少数の兵力で、 押し出すかーー。



イメージ 4


                   【  ルドルフ ヘス 副総統 】


       もう一つは、人質を皆殺しにして、 自らも自決するかーー。

       時は、 どんどん過ぎていったのです。

       はっきりしていることは、 このまま事態が経過していくと、この建物は、
   
       包囲されて、身動きが取れず、 会場の中は、1000人近い人質がいて、

       食糧や飲料水の確保も難しい状態であったのです。

       つぎつぎ、 逃げ延びてくる党員の状況報告から、 ヒットラーが車で

       現地を発ったことを知り、 ベルリンへの進軍の作戦の失敗を悟った

       のです。



イメージ 5




 ヘス副総統は、 ビアホールの人質に、この場からすみやかに立ち去るよう

 指示し、彼等を解放し、 会場が治安部隊に包囲される前に、 部隊の引き上げを

 決定し、転進した後、部隊を解散したのです。



イメージ 6

 


       ヘス 副総統達は、 トラックに乗って、 ミュンヘンの町を離れ、

       オーストリアの国境をめざして、 逃走したのです。

       バイエルンの国境から密かに、 オーストリアに入って、潜伏生活を

       することになっていったのです。



イメージ 7
 


            【  殺害された リヒター元通信大臣 】

    1923年 日本の関東大震災があった年の、大正12年11月9日に、

  ベルリンへの進軍の計画推進者の リヒター元通信大臣は、銃弾を受けて

  死亡し、 ヘルマン ゲーリングは、足に銃弾を受けて、負傷して動けなくなり、

  逮捕され、 ルーデンドルフ陸軍大将も逮捕され、 その他の幹部は逃走し

  たのです。



イメージ 8
 



     カール バイエルン州総督は、逃走したヒットラーを逮捕するよう命令を

   出し、抵抗したら 射殺してもかまわないと、命令を発令したのです。

   このような、経緯で、 多くの人の前で、演説し、 人気を得ていた、国家社会

   主義ドイツ労働者党の党首 アドルフ ヒットラーは、 指名手配を受ける身と

   なったのです。

   当時、 34才でありました。

   
  
    【  明日に続く。 】