第1443回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1442話 ヒットラーの逃走先の事。 2016年2月14日 日曜日の投稿です。






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    1923年 日本の関東大震災があった年の大正12年の11月9日の正午

  過ぎのミュンヘン市内の武力衝突は、風船が破裂したように飛び散り、国家

  社会主義ドイツ労働者党の党員や、 ニーダッ バイエルン武装闘争団の

  メンバーや、 突撃隊、 オーバーランド団、 ドイツ闘争連盟、などの民兵

  組織なども、 あっという間に四散し、  その後、何が始まったかというと、

  落ち武者狩りが始まったのです。



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       ヒットラーは、みんなが銃撃され混乱に陥ったその時、1人だけ、少し

      遅れて随伴していた 自動車に乗り込んで、混乱の中、みなを置き去り

      にして、いずこかに逃走して姿を消したのです。



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    当時のミュンヘンの町では、 至る所で検問が行われ、通行人でも怪しいと

   思われた人は、 トラックに押し込められ、連行して取り調べを受けたそうです。

   ところが、 ヒットラーは行方不明のままであったのです。



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      ヒットラーの逃走先は、 アメリカから帰国してきたドイツ人の以前紹介

   したエルンスト ハンフシュテンブルクの自宅であったのです。

   当時を知る 資料によると、家の近くに逃走で使用した車を乗り捨て、ヒットラー

   は子供がおびえるように、家の中に駆け込んできて、ヒットラーが時々寝泊まり

   していた部屋に閉じこもって、出てこなくなったそうです。



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          それを見ていた、妻のレナと、息子のエゴンは、訳がよくわからず

         理解に苦しんだそうです。

         と言うのが、彼女たちは、 事件の事を後で知ったそうですが、

         当時、ミュンヘンの町の事件の出来事を知らなかったようです。



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         1時間程度して、 「 お茶でも飲みにいらしたら。」と言いながら

         ヒットラーのこもっている部屋のドアをたたいて、開けると、なんと



      
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      彼女の申し立てによると、ヒットラーは、愛用していたアメリカのコルト社

      の6連発リボルバーを頭に押しつけて、引き金を引く寸前で、目を閉じ

      震えていたのだそうです。


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      当時、 潔く、自決を考えていたようです。

      彼女は、 やめさせようと、 ヒットラーの手の拳銃に飛びついたのだ

      そうです。

      アドルフ ヒットラー 34才の出来事でありました。


     【 明日に続く。 】