第1452回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1451話 横山祐義 刀匠の困窮の事。 2016年2月22日月曜日の投稿です。




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                     【  当時の呉鎮守府 】


   1922 年 大正11年の7月27日付で、 第3艦隊司令長官から、 呉鎮守府

 司令長官に就任した、 鈴木 貫太郎 海軍中将は、 呉市の資産家の 児玉 勤

 さんの訪問を受けたのです。




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    児玉 勤 さんと言う人は、どんな人かというと、 当時 呉の町で、土地や

    借家を多数所有している、 分限者 つまり、裕福な市民でした。


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         【 当時の 呉鎮守府司令長官 鈴木 貫太郎 海軍中将 】


   児玉さんは、「 閣下、 酷暑の中、もうしわけありません。   実は今日は

   横山祐義 刀匠の事で、相談がありまして、 お力添えいたたくと有り難いです

   がのうーー。」 と切り出すと、鈴木閣下は、「 おうーー、あの高松宮殿下の

   短剣の作者のことか、 いったいどうしたのか。」 と、問い直すと、児玉さんは、


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  「 閣下、 海軍から 横山さんに仕事を出していただくわけにはいきませんで

  しょうか、 実は、福山の借家の家賃も滞り、生活にも難儀をしておる有様で

  して、 仕事さえあれば、 老体にむち打ってでも、お金が稼げるのですが、

  不景気な 昨今、 刀の注文が、ないんですわーー。」 と、こんなお話で

  あったのです。 

  当時、時たま、日本刀制作の仕事の依頼があっても、毎日仕事が無く、

  生活が成り立たない状態であったのです。



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              【 ウラジオストックを行進する、旭川連隊の部隊 】


   当時、陸軍がシベリアに進出していて、食糧物資を、 京都府舞鶴や、

 北海道の小樽に買い集めて、シベリアにどんどん運んでいたので、日本国内で

 売り惜しみや、ブローカーの買いだめなどが横行して、 商店の米、味噌、酒

 などの日用品が数倍に跳ね上がり、 庶民生活を圧迫していたのです。



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    これらの全国的な物価上昇は、 富山県の主婦のデモ行進に端を発し、

    大阪などでの主要都市で、暴動となり、大正の米騒動と呼ばれ、焼き討ち

    なども行われ、 陸軍が治安出動して、武力鎮圧する騒動となっていたのです。



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     そんな 世の中で、なかなか 当時も高級品であった日本刀を新しく

    鍛造してくれないかという、そう言う注文はなく、 横山刀匠は、仕事が無く

    貧乏して、大変な思いをされていたようです。


    鈴木 閣下は、 黙って聞いていて、「 そりゃ 無理だ。」と、児玉さんに

    返事をしたのです。


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  当時、独り者の多かった水兵は、三食ついているので良いとして、 所帯持ちが

 多かった下士官は、海軍だけの給料では、 米などの生活必需品が3倍以上

 値上がりしていて、生活が成り立たず、 呉鎮守府でも、大きな問題となっていた

 のです。

 
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   そんなご時世に、用もないのに、日本刀を発注する海軍の予算は無いという

  わけです。

  鈴木閣下は、 「 事情は察するが、その船にはのれんよ、初めから経緯を

  ワシに聞かせろ。」と言って、 児玉さんから 横山祐義刀匠の困窮の話を

  聞いた後、 「 ふーーーん。」と、 頭をひねった後、 鈴木閣下は、「 貴様は、

  ワシの所に来る前、どういう努力をしたのか。」と、 問いかけられたのです。

  児玉さんが、「 実は、いろんな人にも、嫁入りの短刀を作らないかとかーー

  色々お話をしてみたのですが、良い話にはなりませんでーー。」と語ると、



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  鈴木閣下が、「 よし、 貴様は、まず、横山刀匠の住む場所をこの呉で作れ、

 貴様は、借家をたくさん所有しておるだろう、 1軒ぐらいなんとかせよ、 次に

 刀を造る場所だが、 数年前に予算削減で閉鎖された、山の上の亀山神社の

 鍛錬所、 あそこを、宮司と貴様が話をして、使えるようにせよ。」と言うと、

 児玉さんが、「 閣下、 そのくらいのことは、私にも出来ますが、 問題は、刀の

 注文でしてーー。」 と言うと、 鈴木閣下が、「 それだ、 貴様の話を聞くと、

 宣伝と言う事が不足しておるようだ。」 と言うと、 「 海軍としては、用事もないの

 に予算不足の中、 刀の注文を出すわけにいかん、 しかしだな、 違う形で、

 我輩が、知恵を出して応援してやろう。」 と、こう言う話をされたのです。



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                       【 呉鎮守府 庁舎 】


 呉鎮守府 司令長官であった 鈴木 貫太郎 海軍中将は、呉の刀剣倶楽部の

 面々が考えつかないような提案をされて、 児玉さんの横山刀匠の生活援助の

 要望に答えようとされたのでした。

 鈴木閣下の智恵で、 日本刀の鍛造注文が舞い込むことになって行くのでした。

 

     【明日に続く。】