第1454回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2016年2月24日水曜日の投稿です。
【 呉鎮守府 参謀長 正木 義太 海軍少将 】
呉鎮守府 司令長官の 鈴木 貫太郎 海軍中将は、参謀長の 正木 海軍少将
に、「 高松宮殿下の海軍短剣を鍛えた横山祐義刀匠が、生活が成り立たないでは、
殿下や、皇室に対しても申し訳なく、 かといって、海軍省に予算はなく、 よって
自主採算で日本刀の鍛錬場が今後続けられるよう知恵を出す必要があるが、
ワシが、 知り合いに色々手紙を書いてみるが、 参謀長、 もっとよい方法が
ないか、考えて見てくれ、 1番よいのは、 相手側、つまり、お客から、注文が
舞い込むようにすると、 これが出来れば、苦労がないのだが。」 と語ると、
正木参謀長は、「どうでありましょうか、呉の水交社、 それから、広島の陸軍の
第5師団司令部の、偕交社【かいこうしゃ】 あたりに、見本の軍刀をおきまして、
宣伝せしめるとともに、そこで 注文をとって、 呉の亀山神社の日本刀鍛錬場
で鍛錬し、 納品するというのは、そこで、 注文が取れるようであれば、横須賀
募ると言う事でーーー。」と、意見具申されたのです。
【 呉鎮守府 司令長官 鈴木 貫太郎 海軍中将 】
すると、 鈴木閣下は、 「 よし、先陣を切って、ワシが一口注文を出そう。」
と、こんな話となり、 鈴木閣下が注文した1口を 呉の水交社に展示して、
見本にすることになったのです。
水交社【すいこうしゃ】というのは、 戦前の海軍の天下り組織で、 水交社の
ことになっていたのです。
当時、 高級ホテルの様な、宿泊施設や、レストラン、 物品販売所などが
あって、 軍服から、階級章、拳銃までいろんな物の物品販売を行っていた
のです。
ここに、見本の軍刀を展示して、 注文を取ろうというわけであったのです。
【 亀山神社日本刀鍛錬場計画案の骨格を考えた、正木 義太海軍少将】
正木参謀長が当初立案された計画というのは、 日本刀を鍛えるのに、
3名から数名の人員が必要で、 この人達の給料、材料代、燃料代、その他の
諸々の経営費用をまとめて、年間の経営費用総額を算出し、 月産 の
日本刀の生産量を考えて、 その原価の単価を計算し、利益をのせて販売する
という計画と、鍛錬所の運営方針、決まり事などの骨格を考えられたのです。
そして、 いよいよ、日本海軍 亀山神社日本刀鍛錬場計画案がまとまり、
亀山神社の境内で、 日本刀の鍛錬が再開されることになって行ったのです。
この鍛錬場の責任者というか、 刀匠の筆頭は、 横山 祐義 さんが、
鍛錬場の主任と言う事で、スタートして、 他の刀匠も参加して、呉市の
軍刀の生産拠点となって行ったのですが、次回はそのあたりの事を紹介し
たいと思います。
【明日に続く。】