第1457回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1456話 呉の爆雷騒動の事。 2016年2月27日土曜日の投稿です。
衆の一人、 小早川 静馬氏 と、その取り巻きの漁民、 阿賀の顔役、海生 兔一
【 かいお いつひと】氏と、その取り巻きの一行が 呉鎮守府に押しかける騒ぎと
なったのです。
そして、 対応にあたったのは、呉鎮守府 参謀長 正木 義太 海軍少将で
あったのです。
【 呉鎮守府 参謀長 正木 義太 海軍少将 】
彼等は、「 わしらーー海で飯くうとりますけぇ これいじょう 海軍に 爆雷演習
をされたら、魚がとれんようになりますけぇ どうもならんのんですわーーー、
なんとかして つかーさいや。」 と、こんな苦情であったのです。
正木、参謀長が、「 爆雷演習は、国軍の対潜水艦対策として重要な戦術の
訓練であって、 その頻度は落としても、 今後も続けて錬成を行わないと
いけない術科である、 全面禁止するわけにはいかん。」 と返事をすると、
小早川の親分が短気を起こし、「 そぎゃーなーこというけどなーー、わしらー
どうやっていきていけーいうんならーー、おぅーー、 わりゃなにかんがえとん
ならーーおーー、 人が毎日魚を釣る場所で、爆弾を爆発さして、 魚が
おらんようになりょうるんですわーー、 わしらーーどうやっていきていけーいう
てんがすか、返事次第では、わしらにも考えがありますけぇのぉ。」と、すごむと、
阿賀の顔役 海生 さんが、 「 まあまあ、小早川の、 わしらーケンカ売りに
きたんじゃないけぇ、 静かに話をしょうやーー のう。」 と、語ると、 海生さん
は、次のように語ったのです。
【 阿賀の 顔役 海生 兔一 親分 】
「 正木閣下、 漁師言うもんは、漁場というのがありまして、 海草がようけ
茂っとる所へ、魚がようけおるんですわ、そこに海軍が 爆雷演習と称して
爆発物を落として、爆発させると、 海草のようけある 漁場に大穴があいて
魚がおらんようになるんですわ、 すると 漁師は、魚が釣れんようになって
生きていけんようになるんですわ、 のぅーー、どうでしょうかの、
海軍の演習を、 漁場をはずして、関係のない、魚がおらん所で、やって
もらえんですかのう。」と、こんな話があり、 早速 地図を広げて、その
場所が複数申し入れが行われ、 正木閣下は、 その地域での爆雷演習
を呉鎮守府として、自粛する話をされたのです。
として、 命令を発令したのですが まったく効果が無かったというか、漁民
から又苦情が殺到することになったのです。
この問題、どういうことであったかというと、当時、 米、味噌、 酒 などの
日用品が数倍に価格が跳ね上がり、庶民の生活を圧迫していたのですが、
当時の 海軍将校、下士官、水兵などは、海軍の給料だけで生活していけず、
どうしていたかというと、 爆雷演習と称して、 漁師達が漁をしている海域に
艦艇を進めて、 演習をすると言う事で 漁船を追い払い、 海草の豊富な
集めて 自分達の食糧を現地調達していたのです。
このような事情で、 海図に演習禁止区域と表示してある場所が、魚が
豊富な漁場と言う事が示してあるわけで、 「 おぃ、よい偵察情報が入った
ぞ。」と申し合わせ、 その場所で 内密に 爆雷演習と称して 魚を採りに
いっていたようです。
苦情を申し立ててきた、親分連中は、漁民から場所代 つまり、みかじめ料を
徴収するわけで、 漁師が魚を採れなくなり、 場所代が払えなくなる つまり
そうなると、自分達が困るわけでして、 呉という場所は、商店街にしても
工場にしても、 労働者派遣業にしても、 造船所の中まで、いろんな分野
に、この親分達の利権が根を張り絡んでいたのです。
そんな中、 瀬戸内海の海域で大きな海難事件が起きていくのです。
【 明日に続く。】