第1459回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1458話 神戸市 川崎造船所の事。 2016年2月29日月曜日の投稿です。
【 上海で日本軍に降伏し、接収されたドイツ海軍のUボート 】
ところで、ドイツから接収した、Uボートと呼ばれる当時の秘密兵器を調査して
日本で、長期間外洋を航行可能な巡洋潜水艦を建造しようという試みは、
軍縮などの制限なのかでも、最優先事項で建造が進められたのです。
現在も、海上自衛隊の潜水艦の建造地として知られる神戸には、明治時代に
加賀前田家 100万石の初歩的な造船所が作られて、 その後、 川崎造船所
と、呼ばれるようになって行ったのです。
この川崎造船所は、 民間企業で唯一、戦艦、空母などを建造できる技術と
ドックを7カ所備えた、 当時、我国の最先端の造船所であったのです。
川崎重工業と名前を変えて、現在に至っているのですが、 戦後も、
神戸市では、 潜水艦の建造が連綿と続いているのです。
そのような時代的背景で、 当時の海軍省は、ドイツの潜水艦の
潜水艦というのは、 海水を注水して、水中に沈み、 水中で、海水を
艦のタンクから放出して 浮力をつけて、又水上に浮いて戻るわけですが、
大正時代の当初は、 これがなかなかうまくいかなかったようです。
それから、 ディーゼル機関で航行して、バッテリーで電気を充電して
水中では、ディーゼル機関は使えないので、 バッテリー航行をする
わけです、 そして バッテリーが低下して、電源が喪失すると、水中で
止まってしまうわけです。
ドイツの潜水艦を分解 研究して、 図面を引いて、仕組みを検証し、
神戸市の川崎造船所で、潜水艦を組み立てて建造し、 乗組員を錬成
して、 1923年 大正12年8月 つまり、 関東大震災前の数週間
前から、 神戸市と 淡路島の沖合で 秘密の 日本海軍の新型巡洋
潜水艦の公試が始まったのです。
この大型の新型巡洋潜水艦は、それまでの十数名の、乗り組みの小型
潜水艇と違い、90名程度が乗り組んで、3交代で潜水艦を航行させると
いう、その後のイ号潜水艦に近い構造であったのです。
海難事故は、 淡路島沖合で公試中に、突然発生し、わずか2分で
新型潜水艦は、 電信柱が建てるように、後部のスクリューを、上に
して、逆立ちしたような姿で、 沈んでいったのです。
随伴していた、 監視船からは、 水中から泡が浮いて来て、それが
最後であったそうです。
【 明日に続く。 】