第1486回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1485話 父の苦言の事。 2016年3月27日日曜日の投稿です。
大正13年こと、1924年の正月休み、 私の父の やぞう から話があった
のです。
以前紹介したように、 私の父親は、 戦後の現在で言う、小学校の校長先生
でした。
元々は、国語の教師で、 古典の古文書や、中国の漢文などには、深い知識を
持っていたのです。
父のやぞう が、 私が 皇太子殿下狙撃事件の新聞を読んで、憤りを感じて
いる様子を遠くから見て心配していたようです。
当時、私の兄は、大阪市役所に就職し、役人の道を歩き始めて、父は、少し
は安心していたようですが、 問題は、私であったのです。
「 美津雄 ちよっと、こっちにくるんや。」と、手招きして言うわけです。
「 ええな、 潜水艦や、飛行機に乗ったら絶対あかんで。」と、こう言うわけです。
「なるべく、大きな艦に乗るようにするんや、 そうしたらやな、 沈んで 死ぬ
危険がすくのうてすむんや。」と、こう言うわけです。
「 軍隊言うとこもそうやが、世の中ちゅーうんは、それが 正しい事でもやな、
勝手な事をしでかす人間ちゅーんは、組織には必要あらへんねん、 どんなに
仕事が出来ても、金儲けが上手でも、走るのが速くてもやな、 組織の決まり事
がまもれんやつ 言ううんはやな、社会から弾き出されていくんや、ええな。」と、
こんな 話を聞かされたのです。
この話、 ずっと 心の隅に置いておく事になるのですが、 「 何事も、自制
せよ。」と、こう言う意味であったようです。
「 アーー俺も聞いた、 けしからん、 天誅を加えん。」と、 皇太子殿下
狙撃事件の話で持ちきりでありました。
制裁を加えに行こうと、こういう噂が、兵学校の中で高まっていったのです。
どうやら、教官監事から、海軍兵学校の校長先生の 谷口 海軍中将に
その噂が、報告されたようで、 しばらくして、朝の朝礼点呼の時に、お話が
谷口閣下からあって、 難波 作之進 衆議院議員は愚息の責任を痛感し、
自殺したと話があり、 勝手な行動をとったり、 この事件については、生徒
として議論することを禁止すると通達があったのです。
このような命令が1月初旬、私達海軍兵学校生徒に対して出されまして、
下関市に、武力討伐しに行くと言うお話は立ち消えとなったのです。
軍人として、勝手な行動はとってはならないという、父のお話は、
この時、役に立ったというか、 もし聞いていなかったら、若い当時の
事ですから、1番に手を上げて志願して、武力討伐の先陣に加わって
いたかも知れません。
【 明日に続く。】