第1496回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1425話 義士とはなにかの事。 2016年4月25日月曜日の投稿です。
戦後の現在も そう 基本的には変わっていないようですが、朝鮮半島の
人間というのは、 儒教に影響を受けた考えの人が多いのです。
まとめた書物が原点になっているのですが、その後の人が、それを利用して
権力者が臣民を支配するのに都合が良い、 忠義を中心とした考えの学問と
いうか、思想に発展していったのです。
つまり、権力者が 臣下に忠節を求めて、 支配していく、 そういう風潮が家庭
の中に浸透し、 一族の惣領に忠節を尽くす、父親に忠節を尽くす、 長男に忠節を
尽くす、とこんな感じの教えが、末端にまで浸透し、 女子は身分的に附属品と考え
られ朝鮮人の社会では、立場が低い存在であったのです。
大韓民国なる 架空の国家を宣言して、 いろんな破壊行為を行って行った
上海 義烈団 なる組織は、 当初はどうであったのか知りませんが、 月日が
下請けや、 非合法の麻薬などの密輸に加担し、いろんな不法行為を行って
日々の活動資金を作って営んでいくようになったのです。
アメリカ政府としては、彼等に金銭を渡して、 諜報活動や、表に出せない
行為を 彼等に代行させることが都合が良かったわけです。
欧米人が、日本に潜入すると 外見からばれてしまい、 行動が制限される
訳ですが、 朝鮮人は 実に都合が良かったわけです。
朝鮮半島や、 日本国内で諜報活動するには 実に都合の良い手駒で、
仮に、 正体がばれて、 捕まったり、殺されたりしても、アメリカ政府は
知らぬ存ぜぬで腹は痛まなかったわけです。
過剰なまでに、 これらの朝鮮人に対して、日々目を光らせていたのです。
上海の 大韓民国の連中や、 上海義烈団などのメンバーは、 だんだん
このような、ダーディーな事ばかりやっていると、 手段を選ばなくなっていった
のです。
つまり、 自分達の欲望、目的を果たすためなら、 なんでも躊躇無く
無関係な人でも殺人などを行うようになって行ったのです。
例えば、 関係のない 子供が死のうが、 関係のない罪の無い人が
100万人死に至ろうが、 自分達の目的が達成されれば関係ない
涼しい顔をして、何人でも殺害していく 凶暴な人間になって行ったのです。
そして、アメリカ政府は、 これらの組織に金銭を渡し、アジア各地で、日本人や
中国人に変装させて、 殺人から 諜報まで、 上海義烈団を利用するようになり、
することで、 アメリカ政府から 資金を受け取り、 日々の活動を続けていくように
なって行ったのです。
爆弾を使用した 破壊行為を行って行ったのです。
1920年 釜山警察署爆破事件
1921年 朝鮮総督府爆破事件
1922年 田中義一 陸軍大将狙撃事件
などの テロ行為を行って、関係のない人達が多く死傷したのです。
を ソウルに 移したわけですが、 自分達の目的を遂げるためには、平気で
殺害を行って行ったという事は良く知られていることです。
自分達の言う事を聞かない人は、 皆殺しにしていったのです。
日本の施政下では、 家が焼かれたり、 処刑が行われたり することは
無かったのですが、 上海義烈団のメンバー達は、 アメリカの諜報活動の
延長とでも 考えていたのか、 一般市民を 100万人以上 処刑していった
のです。
日本人が朝鮮半島から追い出され、 その後、どうなっていったかというと、
行われていったのか、よく勉強していただきたい物です。
これらの処刑された人達は、 推定で100万人から、150万人と言われていて
これらの事から、日本が統治していた当時が平和で幸わせであったと
言わざるを得ないのです。
大韓民国政府は、 これらの破壊活動を行っていた人を義士 と称して、
国営墓地で たいそうな墓地を作っているそうですが、 日本人の物差しで
考えると、 義士ではないわけです。
義士とは、「 節義の厚い、正しい道を通す人の事。」で、
上海義烈団 のメンバーは、 数多くの無関係な人を殺害し、 自らの目的を
達成する為には、平気で女子供を殺していった そういう凶暴な朝鮮人であったの
です。
戦後のお話で また詳細に紹介しますが、これらのメンバーは、日本女子を
戦後、 集団強姦したり、 漁民を拉致して 殺害したり、日赤新潟ビルを爆破
しようとしたり、 多くの日本人が犠牲になり、 現在も 謝罪や、賠償金の支払
いは無いのです。
釜山で 上陸部隊を編成して、 日本に攻め込む準備をするのですが
また、 順番に紹介したいと思います。
【 明日に続く。】