第1501回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1500話 高等警察の取り調べの事。 2016年4月30日土曜日の投稿です。





    
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    大正13年1月5日 新年早々、 宮城【 きゅうじょう 現在の皇居の事】

   二重橋御門で、手榴弾を持った男が取り押さえられ、 手榴弾三発、拳銃が

   押収されたという事件は、 内閣総辞職を決めていた、山本 権兵衛 海軍

   大将 などの閣僚にも衝撃をあたえたのです。


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    事件が当日の19時頃発生し、 当時 警視庁、 東京憲兵隊、近衛師団では、

  第2、第3と 波状攻撃も予想され、正月休みを取り消して、非常招集をかけて

  厳重な警戒を張り巡らすことになって行ったのです。



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      ところで、男の所持品を検査すると、 地図などが発見され、密入国した

    支那人ではないかと、疑われたのですが、黙秘して何も語ろうとせず、

    身柄を日比谷警察署に移送し、 高等警察による 背後関係洗い出しが

    始まったのです。

    男は、名前も、なにも 語ろうとせず、 当時拷問による取り調べが

    始まったのです。


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         当時の取り調べとは、 容疑者を座らせて、 尋問し、解答しな

        ければ、足のももの部分を竹刀で思いっきりひっぱたいて、 再度

        尋問し、 さらに ひっぱたく という そういう事の繰り返しで、

        これらの拷問尋問に、 実行犯の キム  ジ゛ソブも、観念し、

        自らの名前や、 背後関係 経緯を白状していったようです。



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     このような経緯で、 上海 義烈団の一員で、 ご成婚を控えた 皇太子

   摂政 東宮 裕仁殿下 【 後の 昭和天皇】を殺害し、大日本帝国、略して

   日帝に 痛恨の一打を加え、 日本人の心に鉄の釘を打ち込もうと計画した

   一部始終が、 当局に知れ渡ることになって行ったのです。



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   これらの背後には、 アメリカ租界地に司令部を置く、大韓民国なる架空の

   政府組織と、 背後で彼等に資金提供する アメリカ租界地の領事館の

   つながりがわかって来たのです。

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     当時、 入国管理には厳重な警備網をしていたつもりの 陸軍参謀本部

    では、門司港の石炭運搬船から密航してきたことがわかり、大きな衝撃を

    受け、 新年早々、 客船だけでなく、貨物船に対しても厳しい臨検を行う



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      命令を発令し、 各地の港で、厳しい監視と臨検が行われる事になって

      いったのです。



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        このような経緯で、 主犯の キム、ジソプ

        支援活動をしていた  自称 秀崎 広二


        アヘンを 売りさばいた金を受け取る約束で 上海からの密航を

        手助けした 石炭運搬船  天城丸の船員


        黒島 星径    小林 貫一  小林 開 の3名が指名手配の後、

        高等警察に逮捕されたのです。



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      この後も、 戦前、戦後を通じで 朝鮮人の犯罪は後を絶たず、

     戦後、 吉田茂 内閣総理大臣が、朝鮮人を国外追放にしようとして

     GHQに直訴する書簡を送り、 大韓民国は食糧不足を理由に在日朝鮮人

     の受け入れを拒否し、 受け入れを表明したのは 共産主義国家の北朝鮮

     あったのです。

     新潟の港から、 北朝鮮への帰還事業がスタートしたのですが、大韓民国

     の李承晩政権は、30数名の武装工作員を日本に潜入させ、帰還事業の

     拠点であった、新潟日本赤十字ビルを爆破し、 日本政府要人の暗殺などを

     行おうとしていくのです。


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     この事件を、 新潟日赤ビル爆破事件と呼びます。

     そして、 李承晩ラインなる、勝手な国境を設定し、 山口県や福岡県

     長崎県の漁船を次々拿捕したり、 一方的に銃撃を繰り返し、4千名

     程度の漁民が連れ去られ、 銃殺され、 今度は、対馬壱岐

     朝鮮固有の領土であると主張し、 主力兵力を釜山に南下させ、上陸作戦

     の準備を始めるのです。

     朝鮮人のおかげで、日本の政治が大きく混乱していったのです。



     【 明日に続く。】