第1520回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1519話  語らぬ戦犯の事。 2016年5月21日 土曜日の投稿です。



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   戦後、私はパージ 【 戦争犯罪人 】の指定を受け、 極東軍事裁判所で

  裁判を受け、 あともう少しで 戦犯として絞首刑になるところでしたが、身を

  守ったのは、 大正13年2月に 会話が出来ないと海軍兵学校をクビになる

  と言い放たれ、泣きそうな苦労をして身につけた英会話の知識であったのです。

  つまり、 相手の検察官の申し立てを英語で聞き取り、自分の主張、考えを 法廷

  の場で通訳を無しで主張出来たのは、海軍兵学校の語学教育のおかげでありま

  した。



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   多くの日本人将兵、及び 軍属が外地で、鈴木内閣の意向で刀を差しだし、

   殺し合いをしていた相手に、降伏し、 待っていたのは、戦争犯罪人の追求

   と言う、 報復裁判であったのです。




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   ひどい事案では、補給がないので、食糧が不足し、現地の木の根を取りだし

   日本のきんぴらゴボウの様な そういう食べ物を作り、自らも食べ、連合国

   捕虜にも食べさせたのですが、 それが捕虜虐待と決めつけられ、処刑されて

   行った人もいて、 当時、日本という国が無くなって、文句を言えない立場となり、

   多くの理不尽が日本人に対して行われていったのです。 



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   多くの日本人将兵が、 外地でわからぬ外国語で報復裁判を受け、充分な

   申し立てが出来ず、 広場に引き出されて、 生き恥をさらし、公開処刑

   されていったのです。


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    相手にも言い分があったでしょうが、 殺されていった日本人にも言い分が

 あったと考えるのです。

 故郷日本の地に、 両親や、妻や、子供を残し、 日本の国の為と称して、徴兵

 され、 故郷を後にして、国の為に戦闘行為に及び、 その後、国の命令で、意に

 反し降伏に至り、 このような辱めを黙って受けていった面々のことを考えると

 もう一度、武器を取り、 「 我、 ここにアリ。」と、 最後に大暴れいたし、1人でも

 最後の一戦を、 見敵必戦の精神で、完遂して1人でも多くの巻き添えを作って果

 てたかった、 そう言う無念で一杯であった人が多かったはずです。




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  これらの人が、 そう言う行動をとると その先どうなったかというと、他の将兵

 軍属が、一緒に武力討伐され、 日本に帰れなくなると考え、滅私の精神で

 自らの命を差し出して、 お亡くなりになって行ったのです。

 つまり、自分は無実であるし、糾弾されているような事は行っていなくても、他の

 日本人兵士、軍属が無事故郷に帰れるのであれば、進んで死んでいったのです。



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 彼等は、 ここで死んでも、決して犬死にではなく、 人の為になると考え

 個人的感情によって大暴れせず、 静かに殺されていったのです。

「 一足先に、九段の靖国神社に行ってまっておる、 日本のことをよろしく頼む。」

と、言い残して 殺されていったのです。



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 彼等が、見せしめの生け贄となり、 死ぬ事で、 「下士官、兵士が、日本に安全に

 帰国できるのであれば それで良し。」 と思い 亡くなって行った人の事を考えま

 すと、陸軍、海軍問わず、胸が痛むのです。



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  戦後、「 戦犯、戦犯。」 「 現地で悪い事をした犯罪人。」 などと、現地を訪ね

 ず、 当時の事をよく調べずに、本だけ読んだり、 新聞だけ見たり、 浅い知識で

 誹謗 中傷している、 何もわかっていない、勉強不足のまま、 批判を繰り返して

 いる若い人や、 戦後生まれの 新聞記者や、学校の教員を見ると、私は、残念に

 思い、 時々、 大人としての理性、堪忍の袋が吹き破れ、「 修正。」 と、大声

 を発し、 平手打ちを加えたくなる、そう言う時もあります。



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    つまり、 「 貴様に何がわかるか、部隊のみんなが無事内地の日本に

   帰国するために進んで命を投げ出し、1度でも、父や母、妻や子供の顔を

   思い浮かべながら死んでいく、1時間後に処刑される人の事を考え、思い

   をめぐらせたことがあるのか。」 と、怒鳴りたくなるのです。

   靖国神社への合祀問題を批判している人達にも、もう少し当時に戻りまして

   日本人として、その人の立場で考えていただけたらと御願いしたいのです。 



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    また、逆に、 軽はずみに、「報復して、戦争を始めようとか、 相手に銃撃を

    加えろとか、 やられたらやり返せ。」などと、発言する人、いつの時代にも

    政治家などが 過激な発言をして、世間から注目を受けていますが、 この

    ような人にも、「1度目の前で、 頭が半分吹き飛ばされ、血まみれになった

    戦死者を目の前で見たらどうか。」と、 言いたくなる時もあります。



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     私はこの誌面で、軍隊生活、 当時の兵器や、航空機、艦艇の昔話を

     紹介しているのですが、決して戦争を美化し、 もう一度戦争を起こし

     東アジアに、大東亜共栄圏を構築しようなどという考えは皆無なのです。

     戦争というのは、 殺人であり、 どのような理由でも、 それは良くないの

     です。

     私は、 多くの批判を受けながら、敵国であったアメリカの坊主になり、

     敵国の坊主姿で、多くの日本人から、変節者、世渡り上手、などと、

     批判を受けながら 世界平和を説いて歩くことになるのですが、深い考え

     の末に出て来た、平和を推進し、戦争を無くしていく方策の結論であった

     のです。

     そして 毎日、毎日が神への懺悔の日々であったのです。



     【 明日に続く。】