第1522回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1523話  大戦争の原点の裁判の事。2016年5月23日月曜日の投稿です。




イメージ 1




   私達 海軍兵学校 第52期の面々が、土曜日の午後、皇国山【みくにやま】で

 反省会を開いていた当時、 1924年 大正14年の2月、 ドイツのバイエルン

 共和國では、前年武力討伐され、ミュンヘン一揆 と呼ばれるこれらの事件の

 指導的役割をしていた人達が、逮捕され、 起訴されて、 裁判が行われる

 事になっていったのです。

 当時、日本ではごく一部の人しか知らなかったこの裁判は、世界でも重要な

 裁判の1つとして伝えられていて、 当時の裁判長が、多くの批判を受けて

 いくことになるのです。




イメージ 2
 



   この 通称 ミュンヘン裁判と言われる裁判は、 当時逮捕されたいろんな

   複数の人の裁判を総称しているのですが、 その中の1つの裁判が、

   国家社会主義ドイツ労働者党の党首、 アドルフ ヒットラー の裁判で

   あったのです。


イメージ 3



   ヒットラーは、 ミュンヘン一揆が武力討伐されると、 一目散に逃走し、

   当局の追跡をすり抜けて、 アメリカ人夫婦の家に逃げ込み、愛用の

   アメリカ製のコルト 6連発リボルバーで、頭を撃ち抜こうとするのですが、

   その家のご婦人に説得され、 その後、当局に逮捕され、 人生で

   2回目の 刑務所での冷たい冬を過ごす事になっていったのです。



イメージ 4



     ヒットラーは、 秘書のヘス 【 後の副総統】に、「 裁判など形だけの

     のものだ、 世を処刑しようとしているのは間違いない、ヘス、我々は

     謝罪などは行わず、 人生最後の演説を行い、尊厳を持って死んでい

     こう。」 と語り、 退路を断って、 1人 死ぬ覚悟を固めたのです。



イメージ 5
 



      みなさん、 世界を大戦争に巻き込み、多くの人が殺害され、反面、

     経済破綻して極貧に貧していたドイツ経済を立て直し、 世界でも有数の

     経済大国に立て直した、アドルフ ヒットラーの ミュンヘン裁判が行われる

     事になっていったのです。

     この裁判長の 判断による判決が、 世界の運命を変えていったのです。


    【 明日に続く。】