第1523回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1522話 悪者にされたヒットラーの事。 2016年5月24日火曜日の投稿です。
当時の実質的推進者の 上の画像の左から2番目の ベルリン政府の
リヒター元通信大臣が、 武力鎮圧された時に銃弾を浴びて死亡し、逮捕した
当局としては、 当時の国家社会主義ドイツ労働者党の弁士であった、 アドルフ
起訴し、見せしめに処刑しようと考えていたようです。
などから資金提供を受けた勢力が、武装蜂起を繰り返し、 強い厳しい処分を
ドイツ全土に知らしめることで、次の反乱を抑え込もうという当局の意図が
あったようです。
当時、 ヴァィマール共和国の影の支配者と呼ばれていた陸軍兵務局の
局長 ゼークト上級大将は、 反乱勢力に対しては断固とした処断を
下し、当時のバイエルン州政府には、裁判は任せるものの、首謀者には
極刑が望ましいと圧力をかけていたようです。
当時の言い伝えでは、当局は ヒットラーの周辺人物の裁判から執り行い
外堀を埋めてから、その証言などで、 ヒットラーを追い詰めてから、
ヒットラーの裁判を行いたかったようで、 1924年 大正13年の2月から
次々、 裁判が開始されたのです。
当時、 ナチ党 つまり 国家社会主義ドイツ労働者党の顧問であった、
ルーデンドルフ元陸軍大将は、弁護士とともに法廷に出廷し、 無罪を
主張し、弁護士とともに責任回避に全力を傾け、 その責任をヒットラーに
転化する口頭弁論を行っていったのです。
彼の申し立ては、 「カールバイエルン州総督達と懇親会を行うのでお越しく
ださい。」と、ヒットラー達に呼び出され、 当日出向いたところ、短銃を
突きつけられて、 無理やり脅迫され、-----云々。」という 申し立て
であったのです。
数人が計画し、 その本当の中心人物は、 ベルリン政府のリヒター
元通信大臣が計画からすべてに関与し、 その上の神輿に、ヒットラー達が
乗って大騒ぎし、 自分は呼び出されて、巻き込まれただけだと、責任回避に
全力を挙げていったのです。
【 リヒター 元 ベルリン政府 通信大臣 】
このミュンヘン一揆の逮捕された面々の裁判は、 死亡したリヒター元通信
大臣に、罪のすべてをなすぐりつける 申し立てが相次ぎ、 死人に口なし
で、 当時の新聞はこれらの事を事細かく ドイツ全土に報道していたのです。
リヒター元通信大臣と、 アドルフ ヒットラーなる、 ドイツ人でない外国人が
ドイツを混乱させようと計画して起こした、反乱であったという世論操作が
行われていったのです。
ドイツ人ではなく、 外国人であったことに初めて新聞を見て知ることに
なっていったのです。
【 明日に続く。】