第1524回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1523話 はがされていった身上の事。 2016年5月25日水曜日の投稿です。





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    1924年1月 ロシア つまり 当時のモスクワ共産党政府の首魁であった 

    ウラジミール レーニンが他界し、その約1か月半程度のちの2月26日から

    ドイツのミュンヘンで始まった、 法曹界では有名な裁判は、いよいよ主役の

    登場を待つばかりになって行ったのです。



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   ヒットラー達に当初は協力を表明し、その後、態度を豹変させ、国家社会主義

 ドイツ労働者党の面々を破滅に追い込んで行った、 カール バイエルン州総督達

 は、自らの行為を正当化し、 ヒットラーを 海外から入り込んだ外国人でドイツを

  分裂させて混乱させる悪魔の元凶と称して、 どんどんそのような新聞記事を

  発表させて、 世論工作を行っていったのです。


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   ミュンヘン一揆で銃弾に倒れた、リヒター元通信大臣と、ヒットラーは、当時の

 カール総督などの根回しで、悪名が次々と発表され、 当時の人たちは、愛国者

 で、ドイツを立て直さないといけないと叫んでいた、アドルフヒットラーが、実は

 ドイツ人ではなく、 隣の国の オーストリー ハンガリー帝国から逃亡してきた

 無頼の輩であったことを知ったのでした。



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  また、 ヒットラーの母国、オーストリアでは、 首都のウィーンなどで この

裁判の記事が新聞で報じられ、 当時の政府は、ヒットラーを国外追放処分にして

オーストリアに入国を禁止することを決定したそうです。


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    ヒットラーが火の気のない 寒い牢獄に収監されている間に、 ドイツを分裂

   させる極悪非道の外国人との世論操作が行われ、 さらに ルーデンドルフ

   陸軍大将や、 カールバイエルン州総督などが、ヒットラー達のナチ党に呼び

   出され、拳銃を突きつけられて、脅迫され、 一揆に協力するよう圧力をかけ

   られーーーーーー云々という、そんな話が 当時のドイツで紹介され、

   いよいよ、ヒットラーが引き立てられ、 裁判所で被告として尋問される

   ことになって行ったのです。



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     アドルフ ヒットラー 当時36歳  退路を断ち、命を捨てる決心をし、

     ただ一人、 周囲は敵ばかり、最後の演説をするつもりで法廷に引き出さ

     れていったのです。

     
     【 明日に続く。】