第1526回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1525話 ミュンヘンの裁判の事。 2016年5月27日金曜日の投稿です。




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  1924年 2月26日 国家社会主義ドイツ労働者党 総統のアドルフ ヒットラー

は、 冷たい鉄格子の牢獄から 引き立てられ、 ミュンヘン裁判と呼ばれる法廷に

姿を現したのです。

 そして、 検察官より、 ヒットラーを辱めるような、経歴が紹介され、一方的な

事件への関与と、 罪状が長時間語られたのです。


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  法廷の傍聴席は、ドイツやヨーロッパの国々の報道機関のドイツ支局の面々が

 所狭しと陣取り、 裁判の取材を行っていたのです。

 新聞記者の頭の中の記事の見出しは、「 大悪党の武装蜂起の首謀者の

 裁判いよいよ開始される。」 と、こんな感じの事を考えている記者が多かった

 ようです。

 裁判長が、 「 被告は、 オーストリーハンガリー帝国出身 旧バイエルン王国

 外人部隊 伍長 アドルフ ヒットラーに 間違いがありませんか。」 と、問うと、

 ヒットラーは、 すっと立って、 後を向いて、周囲を見渡し、 わざと沈黙したの

 です。




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   自分の発言する時間となって、 わざと沈黙するのは、ヒットラーがよく行って

   いた 注目を集めるための手法であったのです。



        これを 「  ヒットラーの沈黙。」 と呼んでいるそうですが、


 傍聴席がざわつき、 その間は、ヒットラーは無言で静かに立ち尽くし、一分程度

 して、周囲のざわつきが納まると、 右手の握り小節を胸にあてて、ヒットラー

 語り出したのです。



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   「 世は、 アドルフ ヒットラー 国家社会主義ドイツ労働者党の総統で、

 間違いない。  裁判長及び、 法廷内、 ドイツ全土の国民に申し上げる。

 世は、 国家社会主義ドイツ労働者党の総統であるから、 世の知らない

 場所での 党員による行為も含めて すべての事について 責任を取り、 その

 行為について、 法を犯し、犯罪行為というのであれば、 すべての責任は。」



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  と語ると、 初めは早く、そして徐々にゆっくりと、両手を左右に広げていき


「 総統である世にあると考え、 党員や、ドイツの将来を憂い、 駆けつけてきた

 愛國者や、同志達には 罪を問わないでほしい。



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   すべての罪は、 総統の世が取ることを申し上げる。」 とこうガラガラ声で

  語ったそうです。



  神 首席参謀のお話では、ヒットラーは、欧州大戦こと、戦後で言う、第1次

  世界大戦の戦闘で 毒ガスにより負傷して一時失明し、そのような経緯からか

  声がガラガラ声であったのだそうです。

  翌日や、 翌々日の新聞の見出しには、 「ヒットラーすべての罪を認め、

  そのすべての罪を 1人でかぶる。」 と言う見出しで、新聞に紹介され、

  人々の関心を集めることになって行ったのです。



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  ナチ党の他の幹部や、 ルーデンドルフ元陸軍大将らが、自己保身に走り、

 すべての罪状に無実を主張し、 他人に責任転嫁したような 申し立てを繰り返し、

 それらのことが報道され、 人々はうんざりし、 そう言う行為に対して軽蔑し、

 嘲笑していたところに、 ヒットラーの 「 すべての責任は自分にあり、自分が

 知っている事、 自分の知らない場所でのすべての行為について、他の人に

 対して 罪を問わないでほしい。」 との 冒頭の申し立てに対し、当時の新聞

 記者は興味を示し、 ドイツ全土の国民も、「 ヒットラー 潔し。」 と 好感を

 持ったのです。



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   このような報道がされると、 ナチ党の党員や、支持者がミュンヘンの裁判所

 につめかけて、 それまで取材に来ていなかった他のドイツの新聞記者などが

 どっとミュンヘンの裁判を取材を行う為に 訪れたのでした。


  【 明日に続く。】