第1527回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1526話 世間の同情を誘うヒットラーの事。
2016年5月28日土曜日の投稿です。
1924年 大正13年2月26日、 裁判長はヒットラーに問いかけたのです。
「 被告人、 アドルフヒットラーは、検察官の申し立てでは、人々の不安を煽り、
帝国から 旧バイエルン共和國に入国したとありますが 間違いありませんか。」
と問われたのでした。
傍聴席がざわつき、ヒットラーは無言のまま、立ち尽くし、 しばらくして静かに
なると右手を胸にあてて、少しずつ自分の身の上話を語り出したのです。
傍聴席にいた、新聞記者達は、ペンを持って、ヒットラーの発言をメモしていった
のです。
する金融屋から、お金を少しだけ借りて、生活費に充てたところ、どういうわけか
数人でやってきて、 全額返済を迫り、「 金がない。」と言うと、殴る、蹴るの
暴行を繰り返し、 ウィーンから逃げ、 彼等を避けるためにバイエルンに
やって来たという話を法廷で始めていったのです。
彼等に攻撃され、 ひどい目にあわされていたのです。
「 週末までに利息を用意しろ、 用意できなければ女房を売り飛ばす。」 などと
脅迫されるのは当たり前の話しで、 時には、 子供が連れ去られて、 同じ
ユダヤ人の人身売買組織に売り飛ばされて行ったのです。
バイエルン共和國に逃れてきたという身の上話を書いた新聞記事を読んで
自分達の現状と重ね合わせ、 多いに同情したのでした。
当時、ヨーロッパでは、ユダヤ人が銀行や、金融屋を支配し、 その下に
ユダヤ人のいろんな組織がぶら下がり、 ピラミッドのように積み重なり
ドイツ人から、お金を吸い上げて、 多くのドイツ人が困り果てていった
のです。
当時、利息制限という法律はなく、 ユダヤ人側は、日本では禁止されている
導入預金を迫ったり、 日本では、といち と呼ばれるような、10日に元金の
1割の利息を請求するような、 随分ひどい貸金業が当たり前であったのです。
され、 家屋敷、農地を取り上げられ、 女房は売春宿に売られ、 子供も家畜の
ように人身売買のユダヤ人組織に売られていったのです。
これらの ヒットラーのウィーン時代の身の上話が、新聞記者によって
細かく報道されると、 ドイツを分裂させる煽動者の大悪党から、自分達
と同じ苦しみを味わって苦労していた 気の毒な人と言う評価に変わって
いき、人々は新聞を読んで同情していったのです。
そして、 人々のミュンヘンの裁判への関心はさらに高まりを見せ、
報道関係者は熱心に取材していったのです。
【 明日に続く。】