第1529回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1528話 ヒットラーの演説の秘密の事。2016年5月31日火曜日の投稿です。
1924年 大正13年3月初旬、 当時36才であった、アドルフ ヒットラーは、
なんと、一人で法廷内で4時間程度申し立てを繰り返すという、そう言う行為を
繰り返し、 傍聴席にはドイツ各地から報道陣が駆けつけ、取材を行い、メモを
とって、 翌々日の新聞記事になると、こう言う事が続いて行ったのです。
当時、 原告側の検察官、 被告側の ヒットラーと、なるべく申し立てをよく
聞いて、 開かれた裁判を行って 適切な判決を下したいという裁判長の方針で
申し立てに時間が取られたようですが、 不思議なことに 人々はヒットラーの
ペースに巻き込まれていき、 その結果、 新聞記者なども、ヒットラーの言う事が
正しいのではないかと思う様になっていったそうです。
場のオペラの演出、語りかけを演説で応用した独特な物であったのです。
ヒットラーは、頭の中で、 故郷のオペラ劇場の妄想を膨らませ、 音楽の
鳴り響く会場の舞台で 自らが主役になり、 演劇を行っていると、思い込む
そうです。
は、踊ることはしなかったのですが、 両手で、手真似をして、 独特の語りかけ
を行うのです。
それも、ずいぶん上手で、 例えば、手を開いて、 Yのような姿にする場合でも、
どうするかというと、 一般の人が、 同じ恰好をすると、 そうでもないのですが、
ヒットラーの場合、 手を 初めは速く、 力を抜いて すうーーーーっと広げていき
そして、 3分の2程度まで広げたところで、 絶妙な感じで、 じわじわーーと、
手の開く速度を徐々に遅くしていくのです。
こうすると、 ぐぐぐっーーーっと、 重みのある重厚な 手の開きとなって見ている
人にグッとくる、 そういうゼスチャーとなるのです。
そして、 独特のがらがら声で、 静、 と、動を 上手に組み合わせて、
強弱をつけて、 独特の語りかけを行うのです。
こうすることで、 長時間でも、見ている人、聞いている人に、飽きがこない
語りかけが行われる仕組みであったのです。
時には、静かに、 そして、話の主要部分は、激しく、大声で怒り狂うように
握り小節を丸めて、 裁判長に投げつけるように話を語って行く、 そして、
ヒットラーの申し立ては、 自身の 欧州大戦の苦労話から、 どうして
が置かれていた、国際的環境、 そして当時のヴァイマール政府の外交政治
姿勢への批判話しに変わっていったのです。
新聞記者達は、ヒットラーの話を一生懸命、メモしていったのです。
【 明日に続く。】