第1547回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1546話 東方生存圏構想の事。 2016年6月18日土曜日の投稿です。






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   イギリスと見せかけの軍事同盟を締結して、 フランスの膨張を警戒する

イギリスの魂胆を利用して、フランスやベルギーを牽制し、脅迫と外交とイギリスを

利用して、 当時ルール地方に進駐していた フランス軍やベルギー軍を追い払い、



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これだけで、 ドイツ国民は拍手喝采するにちがいないのですが、 さらに、ヒットラ

ーの故郷の、旧 オーストリアハンガリー帝国を吸収合併し、 ドイツ語を話す

ドイツ民族を1つの帝国にまとめ、 この国を 第三帝国と称し、 ドイツ人だけの

巨大な国家を作り上げようというヘス 副総統のお話に、ヒットラーは、大いに

興味を示したようです。



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  その後、 第三帝国はどうあるべきかという質問が ヒットラー総統から、ヘス

 に問いただされたのです。



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   西に進むと、どうしても フランスやイギリスの植民地があり、彼等との

 戦争は、力が充実するまで避けて、 ドイツ第三帝国は東に生存圏を拡大

 すべきだと主張したのです。

  その目的とは、戦略物資を確保することにあったのです。




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    まずは、 旧ドイツ領であった場所を取り返すこと、 これが少しでも実現

 すれば、ドイツ国民から 国家社会主義ドイツ労働者党は絶大な支持を獲得する

 にちがいないと力説し、特に押さえる必要を説いたのが 黒海沿岸のルーマニア

 やウクライナの油田地帯、ここを支配下に置いて、石油資源をドイツの物にし、

 当時、ロシアの共産党ウクライナの穀倉地帯から、根こそぎ物資を略奪し、

 この地方の人が、飢饉が発生し、多くの人がすくいを求めていたのです。


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   ドイツは、ここの地方を占領し、共産主義者を打倒すべきだと語ったのです。



      これを ヘス副総統の「 東方生存圏構想。」 と呼びます。


  イギリスは数年前、この地方に軍隊を派遣したのですが、ゲリラ戦に難儀して

  撤退したと言う場所で、ここにドイツが軍を進めても、 歓迎して、反対は

  しないであろうと語ったのです。



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  イギリスからすると、 共産主義という思想が イギリスが支配する植民地に

  伝染すると、植民地の暴動を抑えるのは難しいと考えていて、一刻も早く、

  モスクワ政府の共産党を根絶やしにしないといけないと考えていたのです。

  そこにドイツが自ら進んで戦争をすると言うのですから、反対はしないであろう

  と見たわけです。

  そして、共産主義者を根絶やしにして、 このウクライナなどの穀倉地帯を

  支配下に置いて、 次の フランス攻略を考えようという、こういう構想であった

  のです。 


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   17年後、ヘス副総統が、自らイギリスに乗り込んで、1941年にドイツと

  イギリスの和平条約を画策して、囚われの身になるのですが、 これらの

  事件の原点は、1924年5月の ドイツの ランッベルク刑務所の中での

  今後の国家社会主義ドイツ労働者党こと、ナチスの活動方針の議論がその

  素因であったのです。

  ではどうしてヘス副総統は ヒットラーにこのような構想を語る様になって

  いったのかというお話は、次回に紹介したいと思います。


  【 明日に続く。】