第1548回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1547話 ホーハー教授の事。 2016年6月19日日曜日の投稿です。




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   みなさん、 戦後の歴史研究家が口をそろえて、同じ申し立てをする、ナチス

 ドイツの崩壊の原因は、「 スターリンソビエトと戦争して、兵力、物資を失った

 事が非常に大きい。」 と言うわけです。



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   実は、ヒットラーや幕僚が思いつきでこれらの戦争をおこしたのでなく、15年

 前の ラッンッベルク刑務所で、 ヘス副総統が唱えていた 東方生存権構想と

 いう 考え方によって、 ドイツが進むべき方針として議論されていたのです。


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   ただ 当初の計画と大きく違っていたのが、イギリスと同盟を締結してい

 なかったと言う事です。

 実は、あまり知られていないのですが、フランスが降伏したその後、ヒットラー

 イギリスと和平を結んで、 同盟の締結の打診を何度も繰り返していたのです。

 それを、 イギリス政府が黙殺していったのです。

 仕方なしに、 イギリスとの同盟をあきらめて、 ソビエトと戦争を始めて、


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     兵力、物資を失い、 1番大きな損出は、 パイロットの消耗であったの

    です。


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    ドイツ空軍は、 飛行機があっても、パイロットがいないという こういう状態

    になっていったのです。


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   ロンメル元帥が意見具申していたように、 どうせ石油資源を確保するなら

  前の大戦で 同盟を結んでいたトルコを通って、 シリア、シナイ半島を押さえて

  エジプトに機甲師団を進めていたら、 エジプトの イギリス軍は 両面から

  敵を迎え撃つことになり、 ドイツが占領できたとすると、 スエズ運河

  イギリスの艦船が通過できなくなり、 イギリスは大きな打撃を受けていたで

   しょう。


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    ロンメル元帥の 書き残した手紙によると、数回、ヒットラーに 中東に

    軍団を展開して、両面から エジプトのスエズを攻め、 ここの石油資源を

    押さえてしまえば、 イギリスは 燃料が乏しくなり、 ドイツに戦局が

    優位に動くと 意見具申したそうですが、 ヒットラーは興味を示さなかった

    ようです。

    と言うのが、 当時は ルーマニアの油田があったので、ドイツは中東の

    石油に感心を示さなかったようです。


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    ところで、戦後は 「 我 闘争 。」 と言う題名で知られていますが、戦前は

    「 世の闘争。」 と呼ばれていたのです。

    この本は、ヘス副総統が 書き表した本であったのですが、 ドイツが 

    スターリンが支配する、ソビエトに攻め込んでいく原因となった、ナチ党の

    指針ですが、 実は、ヘス 副総統が考えた物では無かったのです。




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              【 母親の クララ と 生後まもない ヘス 】


   ヘス副総統は、 冒頭紹介したエジプトの生まれで、父親は エジプトで

  貿易会社を営んでいたドイツ人でした。

  少年時代 ひとりで帰国させられ、 父親の意向で、 全寮制の 商業学校に

  入れられて、 ここで育っていったのです。

  ここで、商業簿記などの事務的なことを修得し、 ナチ党の組織作りに大いに

  役に立ったと言われています。

  国家社会主義ドイツ労働者党の 書類、事務組織は ヘス副総統が作って

  組織していったのです。



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  普段はおとなしい人なのですが、 血が頭に上ると、 闘牛場の 牛のように

  1人で突進していく こう言う行動をよく起こす人でした。

  実に 勇敢な軍人だったそうで、みんなが逃げ出して後退しても、1人で

  敵の陣地に攻撃を仕掛け、鉄十字章を受賞し、 第1次世界大戦では

  1番下の二等兵から 少尉にまで出世し、 ヒットラーより階級が上であった

  のです。


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    そして、 ヘスは優秀な人で、飛行機の操縦が出来る人でもあったのです。

    実に有能な軍人でありました。

    第1次世界大戦が終わり、 復員して、 ミュンヘン大学に入学し、勉強を

    始めたのですが、 ここで知り合った先生が、  ハウス ホーハー教授と

    言う人であったのです。



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          【 ミュンヘン大学の ハウス ホーハー教授 】


    このホーハー教授の考えというか理論は、 生徒であったヘスに大きな

   影響をあたえていったのです。



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       ヘス副総統は、 ヒットラーが刑務所に収監されている頃から、

     ホーハー教授の 東方生存権構想を唱え、 15年が過ぎた頃、

     ソビエトとの戦争に踏み切っていったのです。

     ところが、 西にイギリス、東にソビエトと、 両方に敵を持って戦っていた

     当時、 このまま続けると ドイツは破滅してしまうと考え、ベルリンの総統

     を訪問して、 イギリスとの和平を4時間にわたって、ヒットラーに訴えたの

     ですが、 何度 イギリス政府に和平を申し込んでも 返事がないので

     ついに、頭にきて、 自ら飛行機を操縦して イギリスに乗り込んだのです。



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   戦後、多くの研究者は、「ヘスは 自分の生命が危うくなったので イギリスに

  亡命したのだ。」と、 申し立てをする人も多いのですが、 実は、しびれを

  切らして、ドイツの将来のことを考えて、 1人で飛行機を飛ばして、 イギリスの

  チャーチルに談判に行ったのです。




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     これらの事を知っていたのは、 ヒットラーではなく、 ホーハー教授

     ただ1人であったそうです。

     ヘス副総統がイギリスに向かう前日、 ホーハー教授の元を訪問し、

     長時間 相談していたそうです。



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         このまま ドイツが東西南北の至る所で戦争を続けていた場合、

         その後、どうなるか、 「 ドイツ第三帝国は崩壊するであろう。」

         と、教授から指摘を受けたようです。

         それを防ぐにはどうしたら良いか聞くと、「 ドイツがイギリスと単独

         和平を結び、 戦争を中断し、 国力、兵力を回復するまで時を

         稼ぐべきだ。」 という意見であったようです。



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      ヘス 副総統が、1941年 姿を消してから、 ドイツは 奈落の底に

      落ちていったのです。

      このヘス副総統が、イギリスと和平を実現させ、 ヒットラーのそばにいたら

      歴史は違った物になっていたかも知れません。



      【 明日に続く。】