第1551回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1550話 海軍兵学校図上演習の事。2016年6月22日水曜日の投稿です。






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   当時、 教頭は、 教頭兼監事長と呼ばれていまして、 松山 茂 海軍大佐

   がその職にあったのです。

   江田島海軍兵学校の教頭兼監事長のポストは、海軍省ではよい地位で、

   私達が入学した時の教頭兼監事長であった、 長澤 直太郎 海軍大佐は、

   翌年 少将に進級し、水雷戦隊の司令長官になっていたので、このポストを、

   そつなく1年間こなすと栄転が約束されていたのです。


   そんな、 松山 教頭兼監事長の 「これより、図上演習を開始する。」との

   号令で、 第12分隊と、私達の分隊の図上演習が始まったのです。



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    ところで、縦 従陣の陣形というのは、 船が 縦方向に ヒモのように

    続いて行く こういう陣形なのです。

    私達の分隊は、 先頭に 旗艦を 据えて先導し、 後続艦が続いて行く

    こういう陣形で 進んで行ったのです。



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   私達の艦隊は、左右に 警戒艦の 駆逐艦を配置して、どんどん進んで

   行ったのです。




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     先導艦というのは、戦後の海上自衛隊の先導艦と違いまして、 すこし

   離れて、先行して 偵察活動をするのです。 「 水平線に数隻の艦艇を

   見ュ。」 と、分隊士から報告を受けるわけです。


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   当時は、 離れた遠距離での砲撃戦などを展開すると、 皇国山の反省会物

  でありまして、日本海軍では、 江田島精神と称して、 敵に接近し、敵に身を

  切らせて、 相手の骨を絶つという戦法が 奨励されていたのです。

  私達の艦隊は、旗艦を先頭にして、 縦従陣のまま、相手の敵艦隊に接近して

  いったのです。



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          そして、接近して、 横にT字型に、艦隊を転進させたのです。

          これは、真横になって、一斉に砲撃を開始するとともに、相手の

          進路をふさぐ作戦であったのです。




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                  いよいよ、敵艦との砲撃戦です。



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          我が分隊の艦艇は、一斉に横に回頭して、砲撃開始です。



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    当時 サイコロを転がす係は、 川島 義之 海軍大尉【海兵39期】で、

    その川島大尉が サイコロを転がして、 乱数表というのかありまして、

    サイコロの数字と、 その表を合わせて、 砲撃の成果を決めるわけです。



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    その乱数表の結果が、判定官という立場の 岡本 絢 【おかもと けん】

    海軍少佐【 海兵37期】に報告されて、 1隻大破、 1隻小破 と発表

    されると、我が分隊では、万歳三唱を行ったのです。


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       「 今度は、駆逐艦による 水雷攻撃の番や。」 と考えていると



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             「 前方 12時方向 艦艇 出現セリ。」 と、報告があり、



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     先頭の旗艦に対して、 島影から4隻の敵艦が姿を現したのです。



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        今度は、相手の12分隊が サイコロを転がす番です。



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       砲撃開始、 サイコロを転がしますと、 旗艦に命中、大破と、

       評価が出まして、 えらいこっちゃと言う事になったのです。




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     相手は、4  こちらは 1 ですから、分が悪い訳です。

     そして、旗艦が大破すると、発光信号や 信号旗が使えなくなると言う
 
     決まりがあって、私達の艦隊は、 混乱していったのです。



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         すると 「  左弦 9時方向 敵艦4隻 見ュ。」 と報告があり、

        私達の艦隊は、前と 左右の3方向から敵に攻撃されることになって

        いったのです。



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    こうなっては、 行けません、「 大破、 大破、 炎上中。」などと言う

    評定が続いてしまいまして、 大きな損害が増えていったのです。



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       このような感じの図上演習がありまして、 私達の分隊は負けてしま

       いまして、 監事殿から お小言を頂戴して、南側の練兵場で駆け足の

       懲罰訓練を受けることになっていったのです。


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    私達の取った戦術というのは、日本海海戦で使用された、T字戦法という

   戦術でありまして、 縦従陣でぎりぎりまで敵艦隊に接近し、90度回頭して

   相手の進路を遮り、 横一列で艦砲射撃するという そういう戦術であったの

   です。

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   相手の第12分隊の戦術は、 遠い昔、 信州の川中島で行われた

   上杉氏と武田氏の川中島の戦いで、武田方が取った戦術のきつつき戦法

   の変型改良戦術であったのです。

   

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       一方の部隊が、相手を引きつけ、防御している間に、別働隊が

       後から攻撃すると言う こんな感じの戦術でありました。

       こんな感じで、私達は部隊の運用を 体験していったのですが、

       大勢の 下士官 水兵が乗り込む 艦艇を指揮統率していくというのは

       大変な事で、 当時、 大変厳しく指導を受けていたのですが、 それを

       表したような事件が 九州の佐世保軍港近くで 発生したのです。



       【 明日に続く。】