第1572回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1571話 装甲巡洋艦 八雲の事。 2016年7月13日水曜日の投稿です。
前話で 練習艦隊の旗艦 浅間を紹介したのですが、 今日の昔話は、
2隻目の艦艇の 装甲巡洋艦 八雲【 やぐも】 のお話です。
【 八雲艦長 鹿江 三郎 かのえ さぶろう 海兵30期卒 佐賀県出身】
私達、海軍兵学校52期の面々が、練習航海に出た時の艦長は、 鹿江
三郎 海軍大佐でした。
すこし、変わった名字ですが、 鹿江 と書いて、 かのえ と読みます。
ずいぶん、海の歴戦の勇士という雰囲気の海軍大佐で、 まひげが濃いくて、
戦後の俳優で言えば、 伊吹 五郎さんのような、 男前の雰囲気の艦長でした。
八雲という 装甲巡洋艦は、 現在知る人は少ないのですが、以前紹介した、
私達が、海軍兵学校に入学した当時の 校長先生の 千坂 智次郎 海軍中将や、
連合艦隊の参謀長を勤めた 宇垣 纒 海軍中将らが、艦長を勤めた艦としても
知られています。
この八雲という艦は、ドイツ製で、 1900年 つまり、前話で紹介した 浅間の
翌年に完成し、 明治33年8月30日に就役した艦でありました。
基準排水量が 9695トン 全長が127メートル 速力が20,5ノット 乗員が
648名 ドイツの シュテッティンヴルカン造船所で建造された装甲巡洋艦で
あったのです。
主砲は、 45口径 203ミリ砲を搭載していて、この八雲の長所は、
他の輸入のイギリス製の艦艇と比較して、 航続距離が長いというのが
特徴でありました。
石炭を満載時 1300トン 登載でき、 7000海里の 航続距離を誇っていた
のです。
この艦の艦長 鹿江 海軍大佐は、海軍内の砲術の権威で、 砲術学校の
教官を長く勤め、演習では 射撃判定官を勤める立派な人で、 練習艦隊を
転勤された後は、 海軍少将に進級され、 海軍砲術学校の 校長に就任
されるのですが、 また 順番に紹介して行きたいと思います。
【 明日に続く。】